」という意味を二つのお歌にお歌いになって、また改めて口子《くちこ》をお迎えにおやりになりました。
 お使いの口子《くちこ》は、奴里能美《ぬりのみ》のおうちへ着きますと、天皇のそのお歌をかたときも早く皇后に申しあげようと思いまして、御座所《ござしょ》のお庭先《にわさき》へうかがいました。
 そのときにちょうどひどい大雨がざあざあ降っておりました。口子《くちこ》はその雨の中をもいとわず、皇后のおへやの前の地《じ》びたへ平伏《へいふく》しますと、皇后は、つんとして、いきなり後ろの戸口の方へ立って行っておしまいになりました。口子《くちこ》は怖《おそ》る怖るそちらがわにまわって平伏しました。そうすると皇后はまたついと前の方の戸口へ来ておしまいになりました。口子《くちこ》はあっちへ行ったりこっちへ来たりして土の上にひざまずいているうちに、雨はいよいよどしゃぶりに降りつのって、そのたまり水が腰《こし》まで浸《ひた》すほどになりました。口子《くちこ》は赤いひものついた、あい染《ぞ》めの上着《うわぎ》を着ておりましたが、そのひもがびしょびしょになって赤い色がすっかり流れ出したので、しまいには青い着物もまっかに染まってしまいました。
 そのとき皇后のおそばには、口子《くちこ》の妹の口媛《くちひめ》という者がお仕《つか》え申しておりました。口媛《くちひめ》はおにいさまのそのありさまを見て、
「まあおかわいそうに、あんなにまでしておものを申しあげようとしているのに、見ている私には涙《なみだ》がこぼれてくる」
という意味を歌に歌いました。
 皇后はそれをお聞きになって、
「兄とはだれのことか」とおたずねになりました。
「さっきから、あすこに、水の中にひれ伏《ふ》しておりますのが私の兄の口子《くちこ》でございます」と、口媛《くちひめ》は涙をおさえてお答え申しました。
 口子《くちこ》はそのあとで、口媛《くちひめ》と奴里能美《ぬりのみ》の二人に相談して、これはどうしても天皇にこちらへいらしっていただくよりほかには手だてがあるまいと、こう話を決めました。そこで口子《くちこ》は急いでお宮へかえって申しあげました。
「まいりまして、すっかりわけをお聞き申しますと、皇后さまがあちらへお出向きになりましたのは、奴里能美《ぬりのみ》のうちに珍《めずら》しい虫を飼《か》っておりますので、ただそれをご覧《らん》
前へ 次へ
全121ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング