みつながしわ》の葉を、すっかり海へ投げすてておしまいになりました。それからまもなく船はこちらへ帰りつきましたが、皇后は若郎女《わかいらつめ》のことをお考えになればなるほどおくやしくて、そのお腹立《はらだ》ちまぎれに、港へおつけにならないで、ずんずん船を堀江《ほりえ》へお入れになり、そこから淀川《よどがわ》をのぼって山城《やましろ》まで行っておしまいになりました。
 その時皇后は、
「私はあんまりにくらしくてたまらないので、こんなにあてもなく山城《やましろ》の川をのぼって来たものの、思えばやっぱり天皇のおそばがなつかしい。今この目の前の川べりには、鳥葉樹《さしぶのき》がはえている。その木の下には、茂《しげ》った、広葉《ひろは》のつばきがてかてかとまっかに咲《さ》いている。ああ、あの花のように輝《かがや》きに充《み》ち、あの広葉のようにお心広く、おやさしくいらっしゃる天皇を、どうして私はおしたわしく思わないでいられよう」とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
 しかしそれかといってこのまま急にお宮へお帰りになるのも少しいまいましくおぼしめすので、とうとう船からおあがりになって、大和《やまと》の方へおまわりになりました。
 そのときにも皇后は、
「私《わたし》はとうとう山城川《やましろがわ》をのぼり、奈良《なら》や小楯《おだて》をも通りすぎて、こんなにあちこちさまよってはいるけれど、それもどこをひとつ見たいのでもない。見たいのは高津《たかつ》のお宮よりほかにはなんにもない」という意味をお歌いになりました。
 それからまた山城《やましろ》へひきかえして、筒木《つつき》というところへおいでになり、そこに住まっている朝鮮《ちょうせん》の帰化人《きかじん》の奴里能美《ぬりのみ》という者のおうちへおとどまりになりました。
 天皇はすべてのことをお聞きになりますと、鳥山《とりやま》という舎人《とねり》に向かって、
「おまえ早く行って会ってこい」という意味をお歌でおっしゃって、皇后のところへおつかわしになりました。そのつぎには、丸邇臣口子《わにのおみくちこ》という者をお召《め》しになって、
「皇后はあんなにいつまでもすねて、お宮へもかえって来ないけれど、しかし心の中ではわしのことを思っているに相違《そうい》ない。二人の間であるものを、そんなに意地《いじ》を張らないでもよいであろうに
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