もともと私は、あなたのような方のお嫁になってばかにされるような女ではありません」と言いながら、そのうちを抜《ぬ》け出して、小船に乗って、はるばると摂津《せっつ》の難波《なにわ》の津《つ》まで逃げて来ました。この女の人は後に阿加流媛《あかるひめ》という神さまとしてその土地にまつられました。
王子の天日矛《あめのひほこ》は、そのお嫁のあとを追っかけて、とうとう難波《なにわ》の海まで出て来ましたが、そこの海の神がさえぎって、どうしても入れてくれないものですから、しかたなしにひきかえして、但馬《たじま》の方へまわって、そこへ上陸しました。そして、しばらくそこに暮らしているうちに、後にはとうとうその土地の人をお嫁にもらって、そのままそこへいつくことにしました。
この天日矛《あめのひほこ》の七代目の孫にあたる高額媛《たかぬひめ》という人がお生み申したのが、すなわち神功皇后《じんぐうこうごう》のお母上でいらっしゃいました。例の垂仁天皇《すいにんてんのう》のお言いつけによって、常世国《とこよのくに》へたちばなの実を取りに行ったあの多遅摩毛理《たじまもり》は、日矛《ひほこ》の五代目の孫の一人でした。
日矛《ひほこ》はこちらへ渡《わた》って来るときに、りっぱな玉や鏡なぞの宝物《ほうもつ》を八品《やしな》持って来ました。その宝物は、伊豆志《いずし》の大神《おおかみ》という名まえの神さまにしてまつられることになりました。
二
この宝物をまつった神さまに、伊豆志乙女《いずしおとめ》という女神《めがみ》が生まれました。この女神を、いろんな神々たちがお嫁にもらおうとなさいましたが、女神はいやがって、だれのところへも行こうとはしませんでした。
その神たちの中に、秋山の下冰男《したびおとこ》という神がいました。その神が弟の春山《はるやま》の霞男《かすみおとこ》という神に向かって、
「私《わたし》はあの女神をお嫁にしようと思っても、どうしても来てくれない。どうだ、おまえならもらってみせるか」と聞きました。
「私《わたし》ならわけなくもらって来ます」と弟の神は言いました。
「ふふん、きっとか。よし、それではおまえがりっぱにあの女神《めがみ》をもらって見せたら、そのお祝いに、わしの着物をやろう。それからわしの身の丈《たけ》ほどの大がめに酒を盛《も》って、海山の珍《めずら》しいご
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