えすこともできなくなってしまいました。
そのとき命がおつれになっていたお召使《めしつかい》の弟橘媛《おとたちばなひめ》は、
「これはきっと海の神のたたりに相違ございません。私があなたのお身代わりになりまして、海の神をなだめましょう。あなたはどうぞ天皇のお言いつけをおしとげくださいまして、めでたくあちらへおかえりくださいまし」と言いながら、すげの畳《たたみ》を八|枚《まい》、皮畳《かわだたみ》を六枚に、絹畳《きぬだたみ》を八枚|重《かさ》ねて、波の上に投げおろさせるやいなや、身をひるがえして、その上へ飛びおりました。
大波《おおなみ》は見るまに、たちまち媛《ひめ》を巻《ま》きこんでしまいました。するとそれといっしょに、今まで荒れ狂っていた海が、ふいにぱったりと静まって、急に穏《おだや》かななぎになってきました。
命はそのおかげでようやく船を進めて、上総《かずさ》の岸へ無事にお着きになることができました。
それから七日目に、橘媛《たちばなひめ》のくしがこちらの浜へうちあげられました。命はそのくしを拾わせて、あわれな媛《ひめ》のためにお墓をお作らせになりました。
橘媛《たちばなひめ》が生前に歌った歌に、
さねさし、
さがむの小野《おの》に、
もゆる火の、
火中《ほなか》に立ちて、
問いしきみはも。
これは、相模《さがみ》の野原で火攻めにお会いになったときに、その燃える火の中にお立ちになっていた、あの危急なときにも、命《みこと》は私のことをご心配くだすって、いろいろに慰《なぐさ》め問うてくだすった、ほんとに、お情け深い方よと、そのもったいないお心持を忘《わす》れない印《しるし》に歌ったのでした。
命はそこから、なおどんどんお進みになって、いたるところで手におえない悪者どもをご平定《へいてい》になり、山や川の荒《あら》くれ神をもお従えになりました。
それでいよいよ、再《ふたた》び大和《やまと》へおかえりになることになりました。
そのお途中で、足柄山《あしがらやま》の坂の下で、お食事をなすっておいでになりますと、その坂の神が、白いしかに姿をかえて現われて、命を見つめてつっ立っておりました。
命《みこと》は、それをご覧《らん》になると、お食べ残しのにらの切《きれ》はしをお取りになって、そのしかをめがけてお投げつけになりました。すると、そ
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