れがちょうど目にあたって、しかはばたりと倒《たお》れてしまいました。
 命はそれから坂の頂上へおあがりになり、そこから東の海をおながめになって、あの哀《あわ》れな橘媛《たちばなひめ》のことを、つくづくとお思いかえしになりながら、
「あずまはや」(ああ、わが女よ)とお嘆《なげ》きになりました。それ以来そのあたりの国々をあずま[#「あずま」に傍点]と呼《よ》ぶようになりました。

       四

 命は、そこから甲斐《かい》の国へお越《こ》えになりました。そして酒折宮《さかおりのみや》という御殿《ごてん》におとまりになったときに、

  にいばり、つくばを過ぎて、
  いく夜《よ》か寝《ね》つる。

とお歌いになりますと、あかりのたき火についていた一人の老人が、すぐにそのおあとを受けて、

  かかなべて、
  夜《よ》には九夜《ここのよ》、
  日には十日《とおか》を。

と歌いました。それは、
「蝦夷《えびす》どもをたいらげながら、常陸《ひたち》の新治《にいばり》や筑波《つくば》を通りすぎて、ここまで来るのに、いく夜寝たであろう」とおっしゃるのに対して、
「かぞえて見ますと、九夜《ここのよ》寝て十日目《とおかめ》を迎えましたのでございます」という意味でした。
 命はその答えの歌をおほめになって、そのごほうびに、老人を東国造《あずまのくにのみやつこ》という役におつけになりました。
 それから信濃《しなの》へおはいりになり、そこの国境《くにざかい》の地の神を討《う》ち従えて、ひとまずもとの尾張《おわり》までお帰りになりました。
 命はお行きがけにお約束をなすったとおり、美夜受媛《みやずひめ》のおうちへおとまりになりました。そして草薙《くさなぎ》の宝剣《ほうけん》を媛《ひめ》におあずけになって近江《おうみ》の伊吹山《いぶきやま》の、山の神を征伐《せいばつ》においでになりました。
 命はこの山の神ぐらいは、す手でも殺すとおっしゃって、どんどんのぼっておいでになりました。すると途中で、うしほどもあるような、大きな白いいのししが現われました。命は、
「このいのししに化《ば》けて出たのは、まさか山の神ではあるまい。神の召使《めしつかい》の者であろう。こんなやつは今殺さなくとも、かえりにしとめてやればたくさんである」とおいばりになって、そのままのぼっておいでになりました。
 そ
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