こてんのう》の皇子《おうじ》、名は倭童男王《やまとおぐなのみこ》という者だ。なんじら二人とも天皇のおおせに従わず、無礼なふるまいばかりしているので、勅命《ちょくめい》によって、ちゅう伐《ばつ》にまいったのだ」と、命《みこと》はおおしくお名乗りになりました。
建《たける》はそれを聞いて、
「なるほど、そういうお方に相違ございますまい。この西の国じゅうには、私ども二人より強い者は一人もおりません。それにひきかえ大和《やまと》には、われわれにもまして、すばらしいお方がいられたものだ。おそれながら私がお名まえをさしあげます。これからあなたのお名まえは倭建命《やまとたけるのみこと》とお呼《よ》び申したい」と言いました。
命は建《たける》がそう言いおわるといっしょに、その荒《あら》くれ者を、まるで熟《じゅく》したまくわうりを切るように、ずぶずぶと切り屠《ほふ》っておしまいになりました。
それ以来、だれもかれも命のご武勇をおほめ申して、お名まえを倭建命《やまとたけるのみこと》と申しあげるようになりました。
命は、それから大和《やまと》へおひきかえしになる途中で、いろんな山の神や川の神や、穴戸《あなど》の神と称《とな》えて、方々の険阻《けんそ》なところにたてこもっている悪神《わるがみ》どもを、片《かた》はしからお従えになった後、出雲《いずも》の国へおまわりになって、そのあたりで幅《はば》をきかせている、出雲建《いずもたける》という悪者をお退治《たいじ》になりました。
命《みこと》はまずその建《たける》の家へたずねておいでになって、その悪者とごこうさいをお結びになりました。そして、そのあとで、こっそりといちいという木を刀のようにお削《けず》りになり、それをりっぱな太刀《たち》のように飾《かざ》りをつけておつるしになって、建《たける》をさそい出して、二人で肥《ひ》の河《かわ》の水を浴びにいらっしゃいました。そして、いいかげんなころを見はからって、ご自分の方が先におあがりになり、ごじょうだんのように建《たける》の太刀をお身におつけになりながら、
「どうだ、二人でこの刀のとりかえっこをしようか」とおっしゃいました。建《たける》はあとからのそのそあがって来て、
「よろしい取りかえよう」と言いながら、うまくだまされて命のにせの刀をつるしました。命は、
「さあ、ひとつ二人で試合をしよう
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