わりお手近《てぢか》のご用は、わざとほかの者にお言いつけになって、それとなく二人をおこらしめになりました。
大碓命《おおうすのみこと》はそんな悪いことをなすってからは、天皇の御前《ごぜん》へお出ましになるのをうしろぐらくおぼしめして、さっぱりお顔をお見せになりませんでした。
天皇はある日、弟さまの皇子《おうじ》の小碓命《おうすのみこと》に向かって、
「そちが兄は、どういうわけで、このせつ朝夕の食事のときにも出て来ないのであろう。おまえ行って、よく申し聞かせよ」とおっしゃいました。
しかし、それから五日もたっても、大碓命《おおうすのみこと》は、やっぱりそのままお顔出しをなさらないものですから、天皇は小碓命《おうすのみこと》を召《め》して、
「兄はどうして、いつまでも食事《しょくじ》に出て来ないのか。おまえはまだ言わないのではないか」とお聞きになりました。
「いいえ、申し聞かせました」と命《みこと》はお答えになりました。
「では、どういうふうに話したのか」
「ただ朝早く、おあにいさまがかわやにはいりますところを待ち受けて、つかみくじき、手足をむしりとって、死体をこもにくるんでうッちゃりました」と、命《みこと》はまるでむぞうさにこう言って、すましていらっしゃいました。
天皇はそれ以来、小碓命《おうすのみこと》のきつい荒《あら》いご気性《きしょう》を怖《おそ》ろしくおぼしめして、どうかしてそれとなく命をおそばから遠ざけようとお考えになりました。それでまもなく命を召《め》して、
「実は西の方に熊襲建《くまそたける》という者のきょうだいがいる。二人とも私の命令に従わない無礼なやつである。そちはこれから行って、かれらを打ちとってまいれ」とおおせになりました。それで命は、急いで伊勢《いせ》におくだりになって、大神宮《だいじんぐう》にお仕えになっている、おんおば上の倭媛《やまとひめ》にお別れをなさいました。
するとおば上からは、ご料《りょう》のお上着《うわぎ》と、おはかま着《ぎ》と、懐剣《かいけん》とを、お別れのお印《しるし》におくだしになりました。
命はそれからすぐに、今の日向《ひゅうが》、大隅《おおすみ》、薩摩《さつま》の地方へ向かっておくだりになりました。そのとき命は、まだお髪《ぐし》をお額《ひたい》にお結《ゆ》いになっている、ただほんの一少年でいらっしゃいました。
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