するのだ」とお聞きになりました。すると皇后は、
「それには、丹波《たんば》の道能宇斯王《みちのうしのみこ》の子に、兄媛《えひめ》、弟媛《おとひめ》というきょうだいの娘《むすめ》がございます。これならば家柄《いえがら》も正しい女たちでございますから、どうかその二人をお召《め》しなさいまし」とおっしゃいました。
天皇はもういよいよしかたなしに、一気にとりでを攻め落として、沙本毘古《さほひこ》を殺させておしまいになりました。
皇后も、それといっしょに、えんえんと燃えあがる火の中に飛びこんでおしまいになりました。
三
お母上のない本牟智別王《ほむちわけのみこ》は、それでもおしあわせに、ずんずんじょうぶにご成長になりました。
天皇はこの皇子のために、わざわざ尾張《おわり》の相津《あいず》というところにある、二またになった大きなすぎの木をお切らせになって、それをそのままくって二またの丸木船《まるきぶね》をお作らせになりました。そして、はるばると大和《やまと》まで運ばせて、市師《いちし》の池という池にお浮《う》かべになり、その中へごいっしょにお乗りになって、皇子をお遊ばせになりました。
しかしこの皇子は、後にすっかりご成人《せいじん》になって、長いお下ひげがお胸先《むねさき》にたれかかるほどにおなりになっても、お口がちっともおきけになりませんでした。
ところがあるとき、こうの鳥が、空を鳴いて飛んで行くのをご覧《らん》になって、お生まれになってからはじめて、
「あわわ、あわわ」とおおせになりました。
天皇は、さっそく、山辺大鷹《やまべのおおたか》という者に、
「あの鳥をとって来てみよ」とおいいつけになりました。
大鷹《おおたか》はかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀伊国《きいのくに》、播磨国《はりまのくに》へとくだって行き、そこから因幡《いなば》、丹波《たんば》、但馬《たじま》をかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近江《おうみ》から美濃《みの》、尾張《おわり》をかけぬけて信濃《しなの》にはいり、とうとう越後《えちご》のあたりまでつけて行きました。そして、やっとのことで和那美《わなみ》という港でわな網《あみ》を張って、ようやく、そのこうの鳥をつかまえました。そして大急ぎで都《みやこ》へ帰って、天皇におさし出し申しました。
天皇
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