《はさ》んで向かい合いに陣取《じんど》りました。彦国夫玖命《ひこくにぶくのみこと》は、敵に向かって、
「おおい、そちらのやつ、まずかわきりに一|矢《や》射《い》てみよ」とどなりました。敵の大将の建波邇安王《たけはにやすのみこ》は、すぐにそれに応じて、大きな矢をひゅうッと射放しましたが、その矢はだれにもあたらないで、わきへそれてしまいました。それでこんどはこちらから国夫玖命《くにぶくのみこと》が射かけますと、その矢はねらいたがわず建波邇安王《たけはにやすのみこ》を刺《さ》し殺してしまいました。
敵の軍勢は、王《みこ》が倒れておしまいになると、たちまち総くずれになって、どんどん逃《に》げだしてしまいました。国夫玖命《くにぶくのみこと》の兵はどんどんそれを追っかけて、河内《かわち》の国のある川の渡しのところまで追いつめて行きました。
すると賊兵のあるものは、苦しまぎれにうんこが出て下ばかまを汚《よご》しました。
こちらの軍勢はそいつらの逃げ道をくいとめて、かたっぱしからどんどん切り殺してしまいました。そのたいそうな死がいが川に浮かんで、ちょうど、うのように流れくだって行きました。
大毘古命《おおひこのみこと》は天皇にそのしだいをすっかり申しあげて、改めて北陸道《ほくろくどう》へ出発しました。
そのうちに大毘古命《おおひこのみこと》の親子をはじめ、そのほか方々へお遣《つかわ》しになった人々が、みんなおおせつかった地方を平らげて帰りました。そんなわけで、もういよいよどこにも天皇におさからいする者がなくなって、天下は平らかに治まり、人民もどんどん裕福《ゆうふく》になりました。それで天皇ははじめて人民たちから、男から弓端《ゆはず》の調《みつぎ》といって、弓矢でとった獲物《えもの》の中のいくぶんを、女からは手末《たなすえ》の調《みつぎ》といって、紡《つむ》いだり、織ったりして得たもののいくぶんを、それぞれ貢物《みつぎもの》としておめしになりました。
天皇はまた、人民のために方々へ耕作用の池をお作りになりました。天皇の高いお徳は、後の代《よ》からも、いついつまでも永《なが》くおほめ申しあげました。
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おしの皇子《おうじ》
一
崇神天皇《すじんてんのう》のおあとには、お子さまの垂仁天皇《すいにんてんのう》がお位をお継《つ》ぎになりました。
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