天皇は、沙本毘古王《さほひこのみこ》という方のお妹さまで沙本媛《さほひめ》とおっしゃる方を皇后にお召《め》しになって、大和《やまと》の玉垣《たまがき》の宮にお移りになりました。
その沙本毘古王《さほひこのみこ》が、あるとき皇后に向かって、
「あなたは夫と兄とはどちらがかわいいか」と聞きました。皇后は、
「それはおあにいさまのほうがかわゆうございます」とお答えになりました。すると王《みこ》は、用意していた鋭い短刀をそっと皇后にわたして、
「もしおまえが、ほんとうに私《わし》をかわいいと思うなら、どうぞこの刀で、天皇がおよっていらっしゃるところを刺《さ》し殺しておくれ。そして二人でいつまでも天下を治めようではないか」と言って、無理やりに皇后を説き伏《ふ》せてしまいました。
天皇は二人がそんな怖《おそ》ろしいたくらみをしているとはご存じないものですから、ある晩、なんのお気もなく、皇后のおひざをまくらにしてお眠《ねむ》りになりました。
皇后はこのときだとお思いになって、いきなり短刀を抜《ぬ》き放して、天皇のお首をま下にねらって、三度までお振《ふ》りかざしになりましたが、いよいよとなると、さすがにおいたわしくて、どうしてもお手をおくだしになることができませんでした。そしてとうとう悲しさに堪《た》えきれないで、おんおんお泣《な》きだしになりました。
その涙《なみだ》が天皇のお顔にかかって流れ落ちました。天皇はそれといっしょに、ひょいとお目ざめになって、
「おれは今きたいな夢を見た。沙本《さほ》の村の方からにわかに大雨が降って来て、おれの顔にぬれかかった。それから、にしき色の小さなへびがおれの首へ巻きついた。いったいこんな夢はなんの兆《しるし》であろう」と、皇后に向かっておたずねになりました。皇后はそうおっしゃられると、ぎくりとなすって、これはとても隠《かく》しきれないとお思いになったので、おあにいさまとお二人のおそれ多いたくらみをすっかり白状しておしまいになりました。
天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、
「いやそれは危くばかな目を見るところであった」とおっしゃりながら、すぐに軍勢をお集めになって、沙本毘古《さほひこ》を討《う》ちとりにおつかわしになりました。
すると沙本毘古《さほひこ》のほうでは、いねたばをぐるりと積みあげて、それでとりでをこしらえて、ち
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