隆太郎は嬉々として声を立てる。やつと上つたところで、半ズボンの両脚を前へつる/\/\である。父の私も前廻りして手をうつて囃し立てる。
昔と今と、変れば変るものだと、私は思ふ、さうだ、あの頃はまだ日本ラインといふ名すらさして知られてなかつたのだ。
「日本ラインといふ名称は感心しないね。毛唐がライン河を仏蘭西《フランス》の木曾川とも蘇川峡とも呼ばないかぎりはね。お恥かしいぢやないか」
「さうですとも、日本は日本で、ここは木曾川でいい筈なんで。」
木曾川橋畔の雀のお宿の主人野田素峰子が直ぐと私に和した。
「みんながよくさう言ひますで。」
私たちはいつのまにか、城の正面へと向ひつつあつた、軽い足どりで。
浴衣に袴の、白扇を持つた痩形の老人が謹厳に私たちを迎へた。役場から見えてゐたのである。
旧記に観ると、この犬山の城は、永享の末に斯波氏の家臣織田氏がこの地を領し、斯波満植が初めて築いたとある。斯波氏が滅びてから織田、徳川の一族が拠つて武威を張つた。小牧山合戦の際には秀吉も入城したことがあつたとかいふ。一時天下が家康に帰してからは、尾州侯の家老成瀬隼人が封ぜられた。それ以来明治維新ま
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