で連綿として同家九代の居城として光つた。
 現存の天主閣は慶長四年の秋に、家康が濃州金山の城主森忠政を信州川中島に転封したをり、その天主閣と楼櫓《やぐら》とを時の犬山城主石川光吉に与へた。それを翌る年の五月に木曾川を下してこの犬山に運び、之を築きあげたものである。斎藤大納言正茂の建築ださうである。

 この白帝城は美しい。その綜合的美観はその位置と丘陵の高さとが、明らかにして洋々たる河川の大景と相俟つて、よく調和し映照してゐるにある。加へて、蒼古な森林相がその麓からうち騰つてゐる。展望するに、はてしない平野の銀と緑[#「緑」は底本では「縁」]と紫の煙霞がある。山城としてのこのプランは桃山時代の粋を尽した城堡建築の好模型だといふが、さういへばよく肯かれる。
 ただ僅に残つて、今に聳える天主閣の正しい均斉、その高欄をめぐらし、各層に屋根をつけた入母屋作りの甍[#「甍」は底本では「薨」]、その白堊の城。
 外観こそは三層であるが、内部に入ればそれは五層に高まつてゆく。
 その五層の、昔ながらの木の階段をのぼる時、隆太郎は危ふくころびかけた。さうしてその従兄の八高生から引つ擁へてもらつた。

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