つて初めてこの景勝の大観は生きる。生きた脳髄であり、レンズの焦点である。まつたくかの城こそは日本ラインの白い兜である。
「お城には誰がゐるの。」
「今は誰もゐないんだ。むかしね、兵隊がゐたんだよ。」
 私はその子の麦稈帽を軽くたたいた。かの小さな美しい城の白光が果していつまでこの幼い童子の記憶に明り得るであらうか。そしてあの蒼空が、雲の輝きが。
 父はまたその子の麦稈帽を二つたたいた。私はひそかに微笑した。「すこし強く叩いて置け。」
 私の長男である彼隆太郎は、神経質だが、意志は強さうである。一緒に行く、汽関車に取り附いてでもついて行くと言つてきかないので、止むなく小さなリュックサックを背負はして連れて出たものだが、下りの特急の展望車で、大きな廻転椅子に絵本をひろげてゐた時にもこの子は一個の独自の存在であつた。食堂のテーブルに対ひ合つた僅な時間のひまにも、この子はおぼつかないながら、ナイフとフオクは確に自分の物として、焼きたてのパンや黄色いバタや塩つぱいオムレツの上にのぞんで、決して自分を取り乱さなかつた。箱根の嶮路にかかつて、後部の大きな硝子戸に、汽関車がぴつたりとくつ附き、そのまま
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