つちやう》、信の天竜峡に及ばず、その水流の急なること肥の球磨川に如かず、激湍はまた筑後川の或個処にも劣るものがある。これ以上の大江としてはまた利根川がある。ただこの川のかれらに遙に超えた所以は変幻極まりなき河川としての綜合美と、白帝城の風致と、交通に利便であつて近代の文化的施設の余裕多き事であらう。原始的にしてまた未来の風景がこの水にある。
 舟は翠嶂山の下、深沈とした碧潭に来て、その棹を留めた。清閑にしてまた飄々としてゐる。巉峭の樹林には野猿が啼き、時には出でて現れて遊ぶさうである。
 私は舟より上つて、とある巌頭に攣ぢのぼつた。
 蓋し天女ここに嘆き、清躯鶴のごとき黄巾の道士が来つて、ひそかに舟を煉り金を錬るその深妙境をここに夢みて、或は遊仙ヶ岡と名づけられたものであらう。
 遺憾なのは「これより上へはどうしても今日はのぼれませんで。」と舟人はまた棹をいつぱいに岩に当てて張り切つたことである。
 たちまち舟は矢のやうに下る。
 千里の江陵一日にかへる。
 おお隆坊はどうしてゐる。

    2

 自動車は駛《はし》る。
 犬山の町長さんは若い白面の瀟洒な背広服の紳士であつた。白帝
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング