艪ュたんぽぽの穂のやうに。
泣いても泣いても涙は尽きぬ、
勘平さんが死んだ、勘平さんが死んだ、
わかい奇麗な勘平さんが腹切つた……
おかるはうらわかい男のにほひを忍んで泣く、
麹室《かうじむろ》に玉葱の咽《む》せるやうな強い刺戟《しげき》だつたと思ふ。
やはらかな肌《はだ》ざはりが五月《ごぐわつ》ごろの外光《ぐわいくわう》のやうだつた、
紅茶のやうに熱《ほて》つた男の息《いき》、
抱擁《だきし》められた時《とき》、昼間《ひるま》の塩田《えんでん》が青く光り、
白い芹の花の神経が、鋭くなつて真蒼に凋れた、
別れた日には男の白い手に烟硝《えんせう》のしめりが沁み込んでゐた、
駕にのる前まで私はしみじみと新しい野菜を切つてゐた……
その勘平は死んだ。
おかるは温室《おんしつ》のなかの孤児《みなしご》のやうに、
いろんな官能《くわんのう》の記憶にそそのかされて、
楽しい自身の愉楽《ゆらく》に耽つてゐる。
(人形芝居《にんぎやうしばゐ》の硝子越しに、あかい柑子の実が秋の夕日にかがやき、黄色く霞んだ市街《しがい》の底から河蒸気の笛がきこゆる。)
おかるは泣いてゐる。
美くしい身振《みぶり》の、身も世もないといふやうな、
迫《せま》つた三味《しやみ》に連《つ》れられて、
チヨボの佐和利《さはり》に乗つて、
泣いて泣いて溺《おぼ》れ死にでもするやうに
おかるは泣いてゐる。
(色と匂《にほひ》と音楽と。
勘平なんかどうでもいい。)[#地から3字上げ]四十二年十月
雪の日
淡青《うすあを》い雪は
冷《つ》めたい硝子戸のそとに。……
紫の御召《おめし》をひきかけた
浜勇は
東の桟敷に。
薄い襟あしの白粉《おしろい》も見よきほどに
こころもち斜《なゝめ》に坐つて。
うつむき加減《かげん》にした横顔の
淡青い雪の反射。
静かに曳かれてゆく幕そとの、
立三味線、
仁木の青い目ばりの凄さ。
暮れかかる東京のそらには
ほんのりと瓦斯が点《つ》き
淡青い雪がふる。
半玉は冷《つ》めたい指をそろへて、
引込《ひきこみ》の面《つら》あかりをながめ、
なにかしらさみしさうに。
淡青い雪は
冷《つ》めたい硝子戸のそとに。
幽かな音、幽かな色、幽かなささやき……
[#地から3字上げ]四十三年七月
種蒔き
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、つつましさ、……
葱の畑のそこここに銀の懐中時計《とけい》を閉《し》める音。
けふも彼岸《ひがん》のあかるさに、
誰に見しよとか、権兵衛は
青い手拭、頬かぶり、
桝を小腋《こわき》に、ひえびえと畝《うね》のしめりを踏んでゆく。
畝《うね》の光に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、しをらしさ、……
強い日射《ひざし》のそこここに若いこころの咽《むせ》ぶ音。
ほんに一日《いちにち》齷齪《あくせく》と
歎き足らひで、権兵衛が
青いパツチに縄《なは》の帯、
及び腰してひとすぢに土の臭《にほひ》を嗅《か》いでゆく
午後《ごご》の光に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、なつかしさ。……
黒い鴉《からす》の嘴《くちばし》に種のつぶれてなげく音。
若い身そらの内密事《ないしよごと》、
ひとり苦《く》に病《や》む権兵衛が、
歩みののろさ、手の痛《いた》さ、
腰の痛《いた》みにしみじみと明《あか》き其夜を泣いてゆく。
銀《ぎん》の秘密《ひみつ》に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさやるせなさ。……
常に啄《つ》まれて生れ得ぬ種の、嬰児《あかご》の、なげく音。
妻も子もない醜男《ぶをとこ》の
何時《いつ》も吝嗇《つまし》い権兵衛が
貧《ひん》の盗みか、一擁《ひとかゝ》え
葱を伏せつつ、怖々《こは/″\》と畝《うね》の凸《たか》みを凝視《みつ》めゆく、
伏せたこころに蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさおそろしさ。……
黒い眼玉が背後《うしろ》からぢつと睨んで歩む音。
欲《よく》のつかれか、冷汗《ひやあせ》か、
金が唸《うな》れば権兵衛の
野暮《やぼ》な胸さへしみじみと、
金《きん》の入日の凌雲閣《じふにかい》傷《いた》みながらに蒔いてゆく。
けふの恐怖《おそれ》に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、情《なさけ》なさ。……
黒い鴉《からす》につぶされて種の凡《すべて》の滅《き》ゆる音。
[#地から3字上げ]四十三年十月
忠弥
雪はちらちらふりしきる。
城の御濠《おほり》の深みどり、
雪を吸ひ込む舌うちの
しんしんと沁《し》むたそがれに、
鴨の気弱《きよわ》がかきみだす
水の表面《うはべ》のささにごり
知るや知らずや、それとなく
小石投げつけ、――
ひつそりと底のふかさをききすます
わかき忠弥か、わがおもひ。
君が秘密の日くれどき、
ひとり心につきつめて
そつとさぐりを投げつくる
深き恐怖《おそれ》か、わが涙――
千万無量の瞬間《たまゆら》に
雪はちらちらふりしきる。[#地から3字上げ]四十五年十一月
歌うたひ
悲しいけれどもわしや男、
いやでもお酒をさがしませう、
赤いセエリイもないならば
飲んだふりして就寝《やす》みませう。
みすぎ世すぎの歌うたひ。
[#地から3字上げ]四十三年十一月
槍持
槍は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さ》びても名は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びぬ、
殿《との》につきそふ槍持の槍の穂尖《ほさき》の悲しさよ。
槍は槍持、供揃《ともぞろへ》、
さつと振れ、振れ、白鳥毛。
けふも馬上の寛濶《くわんくわつ》に、
殿は伊達者《だてしや》の美《よ》い男、
三国一の備後様、
しんととろりと見とれる殿御《とのご》。
槍は槍持、銀《ぎん》なんぽ。
供《とも》の奴《やつこ》さへこのやうに、あれわいさの、これわいさの、取りはづす、
やあれ、やれ、危《あぶ》なしやの、槍のさき。
槍は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びても名は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びぬ、
殿のお微行《しのび》、近習《きんじゆ》まで
身なりくづした華美《はで》づくし、
槍は九尺の銀なんぽ、
けふも酒、酒、明日《あす》もまた、
通ふしだらの浮気《うはき》づら、
わたる日本橋ちらちらと雪はふるふる、日は暮れる、
やあれ、やれ冷《つめ》たしやの、槍のさき。
槍は槍持、供ぞろへ、
さつと振れ、振れ、白鳥毛。
雪はふれども、ちらほらと
河岸《かし》の問屋の灯《ひ》が見ゆる、
さてもなつかし飛ぶ鴎《かもめ》、
壁のしたには広重《ひろしげ》の紺のぼかしの裾模様、
殿の御容量《ごきりやう》に、ほれぼれと
わたる日本橋、槍のさき、
槍は担《かつ》げど、空《うは》のそら、渋面《しふめん》つくれど供奴《ともやつこ》、
ぴんとはねたる附髭《つけひげ》に、雪はふるふる、日は暮れる。
やあれ、やれ、やるせなの、槍のさき。
槍は槍持、供ぞろへ、
さつと振れ、振れ、白鳥毛。
槍は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びても名は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びぬ。
殿につきそふ槍持の槍の穂さきの悲しさよ。
いつも馬上の寛濶に、
殿は伊達者のよい男、
さぞや世間《せけん》の取沙汰に
浮かれ騒ぐも女なら。
そこらあたりの道すぢの紺の暖簾《のれん》も気がかりな。
槍は九尺の銀なんぽ、
槍を持つ身のしみじみと、涙流すもつとめ故、
さりとは、さりとは、供奴《ともやつこ》、
雪はふるふる、日は暮れる。
やあれ、やれ、しよんがいなの、槍のさき。
[#地から3字上げ]四十五年三月
CHONKINA.
[#ここから横組み]“Chonkina! chonkina!
Chon−chon kina−kina!
Chon ga nanoso de,
Cho−chon ga yoi! ……”[#ここで横組み終わり]
「赤《あか》い夕日《ゆふひ》、
活動写真《くわつどうしやしん》見《み》たいなキラキラが、あのやうに、あれ、御覧《ごらん》な。
お向《むか》ふの三層楼《さんがい》の高《たか》い部屋《へや》の障子《しやうじ》に、何時《いつ》までも何時《いつ》までも照《て》りつける辛気《しんき》くささ、
寝《ね》まきや、長襦袢《ながじゆばん》の、
如何《どう》したんだらうねえ、まあ、
両肌《りやうはだ》なんか脱《ぬ》いだりさ、
欄干《てすり》に腰《こし》かけたり、跨《また》いだり、
自堕落《じだらく》な、あれさ、落《おつ》こつたらどうするの、
気《き》まぐれも大概《たいがい》になさいなね、
あれ、あの手《て》も真赤《まつか》な狐拳《きつねけん》!」
[#ここから横組み]“Chon−aiko! chon−aiko! ……”[#ここで横組み終わり]
「華魁《おいらん》、ちよいと、御覧《ごらん》なさいな、
久《しさ》し振《ぶり》で裏門《うらもん》が開《あ》いたと思《おも》つたら、
大変《たいへん》ですわねえ、あれ、あんなに水《みづ》が、
随分《ずゐぶん》しどい音《おと》だこと、
堤《どて》をもう越《こ》したんですとさ。
竜泉寺《りゆうせんじ》、山谷《さんや》、今戸《いまど》のわたし、
そりやもう大変《たいへん》な騒《さわぎ》よ、
おやおや、まあ、素《す》つ裸《ぱだか》で、
揚屋町《あげやまち》の通《とほり》を伝馬《てんま》担《かつ》いで奔《はし》るなんて
銀《ぎん》ちやん、威勢《ゐせい》がいいことねえ。」
[#ここから横組み]“Chon−aiko! chon−aiko! ……”[#ここで横組み終わり]
「華魁《おいらん》、何《なに》をそんなに見《み》てお出《い》でなの、
くよくよとさ、
黄色《きいろ》いふたつの高張《たかはり》に
赤《あか》い日《ひ》が、あのやうに射《さ》しかけて、
ぴちやぴちやと濁水《にごりみづ》が凄《すご》いわねえ、
あら、ちよいと、そんな処《とこ》で
おちんこなんか捲《ま》くるもんぢやありませんつたら、
小児《こども》は罪《つみ》が無《ない》ことねえ、ほほほ。まあ。」
[#ここから横組み]“Chonkina! chonkina!
Chon−chon, kina−kina,
Chon ga nanoso de,
Cho−chon ga yoi,
Aiko de yoi,……
Chon−aiko! chon−aiko ……”[#ここで横組み終わり]
吉原《よしはら》の中店《ちうみせ》の
お職《しよく》「小主水《こもんど》」とて、愁《うれ》ひ顔《かほ》の寥《さみ》しい、
どうしたことやら、
白粉《おしろい》もまだつけぬ青《あを》いいろの、
なつかしい眼《め》つきの女《をんな》、
疲《つか》れたやうに、藍色《あゐいろ》の薄《うす》いネルを着《き》ながして
新造《しんぞう》と二人《ふたり》、
――ひとりは立膝――
華魁《おいらん》は灯《ひ》のつかぬ五時《ごじ》ごろの
薄暗《うすぐら》い角店《かどみせ》の二重《にぢゆう》に腰《こし》かけて、
何《なに》とやら澄《す》まぬ顔《かほ》、
左《ひだり》の人《ひと》さし指《ゆび》の薄《うす》い繃帯《ほうたい》に
金《きん》いろの背後《うしろ》の附立《ついたて》が、
支那彫《しなぼり》の唐獅子《からしし》の、
冷《つめ》たい光《ひかり》を投《な》げかくる。
そのさだまらぬ陰影《かげ》のかげの
そのなかの幽《かす》かなためいき……
[#ここから横組み]“Chonkina! Chonkina! ……”[#ここで横組み終わり]
格子戸越《かうしどご》しに、赤《あか》い日《ひ》が
高《たか》い屋並《やなみ》の不思議《ふしぎ》な廂《ひさし》にてりかへし、
洪水《こうすゐ》の音《おと》がきこ
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