東京景物詩及其他
北原白秋

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)銀色《ぎんいろ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)色|淡《うす》き

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)はたけ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Ti_n …… ti_n …… ti_n. n. n. n …… ti_n.n ……〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html

*:注釈記号
 (底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)*Ogamadashi, Mausuke
−−

[#ここから2字下げ、ページの左右中央に]
わかき日の饗宴を忍びてこの怪しき紺と青との
詩集を[#ここから横組み]“PAN”[#ここで横組み終わり]とわが「屋上庭園」の友にささぐ
[#ここで字下げ終わり]
[#改丁]

[#ここから5字下げ、ページの左右中央に]
東京夜曲
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

  公園の薄暮

ほの青き銀色《ぎんいろ》の空気《くうき》に、
そことなく噴水《ふきあげ》の水はしたたり、
薄明《うすあかり》ややしばしさまかえぬほど、
ふくらなる羽毛頸巻《ボア》のいろなやましく女ゆきかふ。

つつましき枯草《かれくさ》の湿《しめ》るにほひよ……
円形《まろがた》に、あるは楕円《だゑん》に、
劃《かぎ》られし園《その》の配置《はいち》の黄《き》にほめき、靄に三つ四つ
色|淡《うす》き紫の弧燈《アアクとう》したしげに光うるほふ。

春はなほ見えねども、園《その》のこころに
いと甘き沈丁《ぢんてう》の苦《にが》き莟《つぼみ》の
刺《さ》すがごと沁《し》みきたり、瓦斯《ガス》の薄黄《うすぎ》は
身を投げし霊《たましひ》のゆめのごと水のほとりに。

暮れかぬる電車《でんしや》のきしり……
凋《しを》れたる調和《てうわ》にぞ修道女《しゆうだうめ》の一人《ひとり》消えさり、
裁判《さばき》はてし控訴院《こうそゐん》に留守居《るすゐ》らの点《とも》す燈《あかり》は
疲《つか》れたる硝子《がらす》より弊私的里《ヒステリイ》の瞳《ひとみ》を放《はな》つ。

いづこにかすずろげる春の暗示《あんし》よ……
陰影《ものかげ》のそこここに、やや強く光|劃《かぎ》りて
息《いき》ふかき弧燈《アアクとう》枯《かれ》くさの園《その》に歎《なげ》けば、
面《おも》黄《き》なる病児《びやうじ》幽《かす》かに照らされて迷《まよ》ひわづらふ。

朧《おぼろ》げのつつましき匂《にほひ》のそらに、
なほ妙《たへ》にしだれつつ噴水《ふきあげ》の吐息《といき》したたり、
新《あたら》しき月光《つきかげ》の沈丁《ぢんてう》に沁《し》みも冷《ひ》ゆれば
官能《くわんのう》の薄《うす》らあかり銀笛《ぎんてき》の夜《よ》とぞなりぬる。[#地から3字上げ]四十二年二月

  鶯の歌

なやましき鶯のうたのしらべよ……
ゆく春の水の上、靄の廂合《ひあはひ》、
凋《しを》れたる官能《くわんのう》の、あるは、青みに、
夜《よ》をこめて霊《たましひ》の音《ね》をのみぞ啼《な》く。

鶯はなほも啼く……瓦斯《ガス》の神経《しんけい》
酸《さん》のごと饐《す》えて顫《ふる》ふ薄き硝子《がらす》に、
失《うしな》ひし恋の通夜《つや》、さりや、少女《をとめ》の
青ざめて熟視《みつ》めつつ闌《ふ》くる瞳《ひとみ》に。

憂欝症《ヒステリイ》の霊《たましひ》の病《や》めるしらべよ……
コルタアの香《か》の屋根に、船のあかりに、
朽ちはてしおはぐろの毒の面《おもて》に
愁ひつつ、にほひつつ、そこはかとなく。

※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロンの三《さん》の絃《いと》摩《なす》るこころか、
ていほろと梭の音《おと》たつるゆめにか、
寝ねもあへぬ鶯のうたのそそりの
かつ遠《とほ》み、かつ近み、静《しづ》こころなし。

夜もすがら夜もすがら歌ふ鶯……
月白き芝居裏、河岸《かし》の病院、
なべて夜の疲《つか》れゆくゆめとあはせて、
ウヰスラアーの靄の中音《うちね》に鳴き鳴きてそこはかとなし。
[#地から3字上げ]四十二年一月

  夜の官能

湿潤《しめり》ふかき藍色《あゐいろ》の夜《よ》の暗《くら》さ……
酸《す》のごとき星あかりさだかにはそれとわかねど
濃《こ》く淡《うす》き溝渠《ほりわり》の陰影《かげ》に、
青白き胞衣会社《えなぐわいしや》ほのかににほひ、
※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]多く、而《しか》もみな閉《とざ》したる真四角《ましかく》の煙艸工場《たばここうば》の
煙突の黒《くろ》みより灰《はひ》ばめる煤《すす》と湯気《ゆげ》なびきちらぼふ。

橋のもと、暗《くら》き沈黙《しじま》に
舟はゆく……
なごやかにうち青む砥石《といし》の面《おも》を
いと重き剃刀《かみそり》の音《おと》もなく辷《すべ》るごとくに、
舟はゆく……ゆけど声なく
ありとしも見えわかぬ棹取《さをとり》の杞憂《おそれ》深げに、
ただ黄《き》なる燈火《ともしび》ぞのぼりゆく……孤児《みなしご》の頼《たよ》りなき眼《め》か。

つつましき尿《ねう》の香《か》の滲《し》み入るほとり、
腐《くさ》れたる酒類《さけるゐ》の澱《おど》み濁《にご》りて
そこここの下水《げすゐ》よりなやみしみたり、
白粉《おしろい》と湯垢《ゆあか》とのほめく闇にも
青き芽《め》の春の草かすかににほふ。

湿潤《しめり》ふかき藍色《あゐいろ》の夜《よ》の暗《くら》さ……
かへりみすれば
いと黒く、はた、遠き橋のいくつの
そのひとつ青うきしろひ、
神経《しんけい》の衰弱《つかれ》にぞ絶間《たえま》なく電車過ぎゆき、
正面《まとも》なる新橋《しんばし》の天鵝絨《びろうど》の空《そら》の深みに
さまざまの電気燈《でんき》の装飾《かざり》、
そを脱《ぬ》けて紫の弧燈《アアクとう》にほやかにひとつ湿《しめ》れる。
あはれ、あはれ、爛壊《らんゑ》のまへの官能《くわんのう》のイルユミネエシヨン。

しかはあれども、
湿潤《しめり》ふかき藍色《あゐいろ》の夜《よ》の暗《くら》さ……
溝渠《ほりわり》の闇《やみ》の中《うち》病院《びやうゐん》の舟は消えゆき、
青白き胞衣会社《えなぐわいしや》にほふあたりに、
整《ととの》はぬ鶯ぞしみらにも鳴きいでにける。
[#地から3字上げ]四十二年三月

  片恋

あかしやの金《きん》と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片恋《かたこひ》の薄着《うすぎ》のねるのわがうれひ
「曳舟《ひきふね》」の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息《といき》のちるぞえな。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
[#地から3字上げ]四十二年十月

  露台

やはらかに浴《ゆあ》みする女子のにほひのごとく、
暮れてゆく、ほの白き露台《バルコン》のなつかしきかな。
黄昏《たそがれ》のとりあつめたる薄明《うすあかり》
そのもろもろのせはしなきどよみのなかに、
汝《な》は絶えず来《きた》る夜《よ》のよき香料をふりそそぐ。
また古き日のかなしみをふりそそぐ。

汝《な》がもとに両手《もろて》をあてて眼病の少女はゆめみ、
欝金香《うこんかう》くゆれるかげに忘られし人もささやく、
げに白き椅子の感触《さはり》はふたつなき夢のさかひに、
官能の甘き頸《うなじ》を捲きしむる悲愁《かなしみ》の腕《かひな》に似たり。

いつしかに、暮るとしもなき※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]あかり、
七月の夜《よる》の銀座となりぬれば
静こころなく呼吸《いき》しつつ、柳のかげの
銀緑の瓦斯《ガス》の点《とも》りに汝《なれ》もまた優になまめく、
四輪車の馬の臭気《にほひ》のただよひに黄なる夕月
もの甘き花《はな》※[#「木+危」、第4水準2−14−64]子《くちなし》の薫《くゆり》してふりもそそげば、
病める児のこころもとなきハモニカも物語《レヂエンド》のなかに起りぬ。
[#地から3字上げ]四十二年七月
[#改丁]

[#ここから5字下げ、ページの左右中央に]
S組合の白痴
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

  雑艸園

悩ましき黄の妄想の光線と、生物の冷《ひや》き愁と、――
霊《たましひ》の雑艸園の白日《はくじつ》はかぎりなく傷《いた》ましきかな。
たとふればマラリヤの病室にふりそそがれし
香水と消毒剤と、……※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]の外なる蜜蜂の巣と、……
そのなかに絶えず恐るる弊私的里《ヒステリイ》の看護婦の眼と、
霖雨後《りんうご》の黄なる光を浴びて蒸す四時過ぎの歎《なげき》に似たり。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣《きづか》はしげに点《とも》りたる瓦斯の火の病める瞳よ。

かくてまた蹈み入りがたき雑艸の最《もと》も淫《たは》れしあるものは
肥満《ふと》りたる、頸輪《くびわ》をはづす主婦《めあるじ》の腋臭《わきが》の如く蒸し暑く、
悲しき茎のひと花のぺんぺん草に縋りしは、
薬瓶《くすりびん》もちて休息《やす》める雑種児《あいのこ》の公園の眼をおもはしむ。
また、緩《ゆる》やかに夢見るごときあるものは、
午後二時ごろの 〔|Cafe'《カツフエ》〕 に Verlaine《ウエルレエヌ》 のあるごとく、
ことににくきは日光が等閑《なほざり》になすりつけたる
思ひもかけぬ、物かげの新しき土《つち》の色調。
またある草は白猫の柔毛《にこげ》の感じ忘れがたく、
いとふくよかに温臭《ぬるくさ》き残香《のこりが》の中に吐息しつ。
石鹸《シヤボン》の泡に似て小さく、簇《むらが》り青むある花は
ひと日|浴《ゆあ》みし肺病の女の肌を忍ぶごとく、
洋妾《らしやめん》めける雁来紅《けいとう》は
吸ひさしの巻煙草めきちらぼひてしみらに薫《く》ゆる
朝顔の萎《しぼ》みてちりし日かげをば見て見ぬごとし。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣はしげに瞬《またた》ける瓦斯の火の病める瞳よ。
あるものは葱の畑より忍び来し下男のごとく、
またあるものは轢かれむとして助かりし公証人の女房が
甘蔗のなかに青ざめて佇むごとき匂しつ。
ことに正しきあるものはかかる真昼を
饐《す》え白らみたる鳥屋《とや》の外に交接《つが》へる鶏《とり》をうち目守《まも》る。

噫《ああ》、かかるもろもろの匂のなかにありて
薬草の香《か》はひとしほに傷《いた》ましきかな、
哀《あは》れ、そは三十路女《みそぢをんな》の面《おも》もちのなにとなく淋しきごとく、
活動写真の小屋にありて悲しき銀笛の音《ね》の消ゆるに似たり。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣はしげに黄ばみゆく瓦斯の火の病める瞳よ。

あはれ、また
知らぬ間《ま》に懶《ものう》きやからはびこりぬ。
ここにこそ恐怖《おそれ》はひそめ。かくてただ盲人《まうじん》の親は寝そべり、
剃刀《かみそり》持てる白痴児《はくちじ》は匍匐《はらば》ひながら、
こぼれたる牛乳の上を、毛氈を、近づき来る思あり。
またその傍《そば》に、なにとも知れぬ匂して、
詮《せん》すべもなく降《くだ》りゆく、さあれ楽しくおもしろき
やぶれかかりし風船の籠に身を置く心あり。
あるは、また、かげの湿地《しめぢ》に精液のにほひを放つ草もあり。

見よ、かかる日の真昼にして
気遣しげに青ざめし瓦斯の火の病める瞳よ。

悩ましき黄の妄想の光線と、生物の冷《ひや》き愁と、
霊《たましひ》の雑艸園の白日《はくじつ》の声もなきかがやかしさを、
時をおき、揺り轟かし、黒烟《くろけぶり》たたきつけつつ、
汽車飛び過ぎぬ、かくてまたなにごともなし
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