かつたに違ひない。
 子供は無論無邪気である。もとより善悪を超越してゐる。
 さうなると、果して誰が善で、誰が悪か。
 私達はまた誰を憎み、誰を憤り、誰を罪すべきか。
 恐らく、最後の審判の日が来つたところで誰一人罪せられる者はゐないであらう。ただ母親が不注意だつたと云ふ事であるが、それも決して深く罪せらるべき問題でない。
 父親がまた少々粗骨だつたとは思へる。然し、あの場合では、ああ逆上するのも無理はあるまい。無論ある瞬間に彼が憎悪のあまりその子をたたき殺さうと迄は企らみ得る余裕は無かつた。神の眼には涙がある。
 ただ同じ人間の私から見て、思はずハツとしたのは、あのあどけない子供の無意識な端的行為の中に、既に人間通有の惨虐性が根深く潛在してゐた、戦慄するべき一事である。
 私自身の事から考へてもさうであつた。
 私は弟が生れると、たちまち母御《ははおや》の愛を専有できなくなつた。それが憎くらしかつた。私は弟が母親の乳房を、我物顔にしやぶり、時としては思ひきり甘へて、反つくり返つて腹をつん出して、両足をバタバタさしてゐるのを見ると、思はずつかみ殺してやりたく思つた。その小さなおちんこま
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