かつたに違ひない。
子供は無論無邪気である。もとより善悪を超越してゐる。
さうなると、果して誰が善で、誰が悪か。
私達はまた誰を憎み、誰を憤り、誰を罪すべきか。
恐らく、最後の審判の日が来つたところで誰一人罪せられる者はゐないであらう。ただ母親が不注意だつたと云ふ事であるが、それも決して深く罪せらるべき問題でない。
父親がまた少々粗骨だつたとは思へる。然し、あの場合では、ああ逆上するのも無理はあるまい。無論ある瞬間に彼が憎悪のあまりその子をたたき殺さうと迄は企らみ得る余裕は無かつた。神の眼には涙がある。
ただ同じ人間の私から見て、思はずハツとしたのは、あのあどけない子供の無意識な端的行為の中に、既に人間通有の惨虐性が根深く潛在してゐた、戦慄するべき一事である。
私自身の事から考へてもさうであつた。
私は弟が生れると、たちまち母御《ははおや》の愛を専有できなくなつた。それが憎くらしかつた。私は弟が母親の乳房を、我物顔にしやぶり、時としては思ひきり甘へて、反つくり返つて腹をつん出して、両足をバタバタさしてゐるのを見ると、思はずつかみ殺してやりたく思つた。その小さなおちんこまでが腹立たしかつた。がまた溜まらず可哀《かは》ゆくもあつた。そんな時は弟のおちんこに飛びついていぢくりまはした。
その私よりも、次郎公は鋭い。私は彼が弟の上に乗しかかつて、そのちよつぴりと膨れてちくちくと尖つた、可憐な昆虫のやうな朝顔の蕾のやうな小男根をビクビクと息づいてゐるやつを、大きな鋏を開いて凝《ぢつ》と差寄せた瞬間の彼の神経の鋭さ、その沈着と大胆と、それから一息に根元からチヨキンと切り落した瞬間の神的決断と、人間性の無意識的快感これを思ふと恐ろしくなる。
この突き詰めた真実と直覚。荘厳な性慾の萌芽。
『恐ろしい感覚だ。少くとも彼奴《きやつ》はすばらしい神童だつたに違ひない。』
私は舌をまいて讃嘆したがまた、顫《ふる》へ上るほど恐ろしくなつた。
彼《あ》の子の如く愛憎の念が奥ふかく、純真で、一図で子供ながらにも責任感が堅く、自《おのずか》らにしてまた頭領としての見識も備はり、而かも前に云つたやうに沈着で、大胆で、決断力が強く、猛勢な精力と神秘的直感力を有してゐる子供が、幸にして麗かな天日の下にのびのびと生ひ立ち、よく愛されよく教育されよく生長して行つたならば、果たしてどれ
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