間も少しも油断はしてゐなかつた。
自分の監視下にある弟がお粗相をした。と思つた瞬間、その弟を折檻するのは自分の役目で、それはまた、母親からも喜ばれる事と思つたに違ひない。いきなり弟に乗しかかつて、傍にあつた鋏を取ると、その小さな、また可燐な、恰度朝顔の蕾のやうに尖つた、ヒクヒク動いてゐるそのおちんこをいきなり、チヨンと切り落として了つた。根元からチヨンと一つ。
曾ての母親が確かに不謹慎であつた。まだ神のやうな純潔白紙のやうな子供に滅多な事を云ふものではない。
そこは子供である。兄の子は、弟のおちんこをチヨンと一つ切り落す事が、それほどの一大事とは思ひがけなかつたにちがひない。一つ折檻して、たしなめたら、それはそれで済んで、また一緒に面白く遊べるものと思つてゐたに違ひない。彼は無論弟を愛しきつてゐたからだ。またその弟が死んぢまつてそれつきりだとは思ひがけない事だ。第一まだ五歳ばかりの子供に人間の死などゝいふ大問題がわからう筈も無いのだ。
チヨンと鋏が一つ鳴つた、と、弟の小さな男根はピヨンと弾みをつけた昆虫のやうに飛ぶ、弟はウンと引つくり反る、血がシユウツとその股間から噴出す。四辺《あたり》一面真赤になる。と、思わず飛び退《さが》つた兄の子は、吃驚《びつくり》すると、唖のやうに其処に突つ立つて了つた。彼《あ》の子から観ると、それはあまり予期しない奇怪事であつた。それはおちんこをチヨンと一つ切り落す事は朝顔の蕾を一つチヨンと切り落すのと大した相違はなかつた筈だからだ。
兄の子が火のつくやうに泣き出したのは、やや暫時《しばらく》経つてからであつた。
然し彼の子は、それでも別段悪い事をしたとは思へなかつたに違ひない。無論それが人殺しで、非常な罪悪だとは知る筈が無かつたに違ひない。弟が死んで了つたなどとは無論まだ知る筈は無い。ただ血を見て仰天して了つたのだと思ふ。
何といふ無邪気な人殺しであらう。
ただならぬ泣声を母家の方に聞きつけると、その母親は洗濯物を投げ棄てて、背戸の方から飛び込んで来た。見ると、弟の子が縁側にひつくり反つてゐる。何事と思つて抱きあげると、その内股は血みどろである。ハツと思つて手を突つ込んだ。
その時、兄の子はわあわあ泣き泣き、飛んでつた弟のおちんこを捨つて、そつと母親の方に差出した。と、
『あれつ、てめえは。』と云ふとそのまゝ母親もそつ
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