から驚いたのは、此悲劇の主人公たる男の児のすばらしい天才的感覚であつた。
 えらい奴である。とにかくその男の子は。
 考へると、私は全く讃嘆し崇拝したくなる。尤《もつと》も、私は決して殺人を是認する者ではない。然し、その犯罪があまりに無邪気で、その犯人がまたあまりに無心であるから、その手段だけが、たゞ芸術的にも見え、天才的にも、神聖化しても考へられるのである。

    ○

 事実を言はねばわからない。
 時は初秋、一味清涼の秋風が空には流れても、山間の雑木林にはささ栗の毬《いが》がまだ青く揺れてゐる頃であつた。
 処は函嶺に近いある村落の田家に、両親と二人の子供とがあつた。子供は二人とも男の子で、兄は五歳弟はまだ三歳だつたと云ふから何れも頑是ないものである。ところでまだその年齢が自分の片手の指の数しかない、兄の方が、ある時過つて畳の上にお尿《しつこ》を洩らした。すると、その傍《はた》で何かのつぎはぎものでもしてゐた母親が見咎めて、『おや、この餓鬼、お尿しやがつたな、うぬ、今度|為《し》て見い、おめえのおちんこを、これよ、此の鋏でチヨン切つちまふぞい。』と叱りつけた。さうして目の前でチヨンと鋏を一つ鳴らして見せた。兄の子はわあわあ泣いた。だが、『この鋏でチヨン切つちまふぞい。』だけは、確実に耳に留めた、鋭く。
 それが悲劇の原因である。
 それから幾日か経つた後の事であつた。父親はやや離れた裏の田圃の方で蹲《しやが》んでゐた。母親は背戸の小流れで何か洗濯物をごしごしとやつてゐた。その家の縁側にはまだ汚れきつた襦袢一つで、兄と弟とが遊んでゐた。二人はまだ紅い毛並の幾分か黄金の光沢を潤ませた玉蜀黍《たうもろこし》の、その新鮮な薄い緑色の薄皮をはぎはぎ、無心に遊びほれてゐた。三歳の子は一生懸命に、食べられもせぬまだ固い琥珀の粒玉のやうなその実に噛ぢりついてゐた。兄の子はまたそれを大人くさい顔をして押しとどめやうとした。弟はムキになつてその兄の手を振り払はうとした。そのはづみについお尿を洩らして了つたのだ、弟はわあわあ泣き出した。
 この時まで、兄の方は子供ながら、自分はこの子の兄だと云ふ優越感と、兄としての愛と、その両親の外に出てゐる間は自分がその家を守らねばならぬ、といふ全責任とを深く感じてゐたらしい。始終、兄らしい愛撫と監視とをその弟の方に向けて、その遊びほれてゐる
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