さしこ》姿の朱線に反射した。無數の小さな河魚は醉つぱらつて浮き上り、酒の流れに口をつけて飮んだ人は泥醉して僅に燒け殘つた母家《おもや》に轉《ころ》がり込み、金箔の古ぼけた大きな佛壇の扉を剥《は》がしたり歌つたり踊つたりした。私は恰度そのとき、魚市場に上荷《あ》げてあつた葢《ふた》もない黒砂糖の桶に腰をかけて、運び出された家財のなかにたゞひとつ泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時《いつ》までも何時《いつ》までも凝視《みつ》めてゐたことをよく覺えてゐる。
 その後以前にも優るほどの巨大な新倉が建ち、酒の名の「潮《うしほ》」とともに、一時は古い柳河の街にたゞひとり花々しい虚勢を張つてはゐたものの、それも遂には沈んでゆく太陽の斷末魔の反照《てりかへし》に過ぎなかつた。その十年の短い月日のなかに、廢れてゆくものは廢れ、死んでゆく人は死に、ただひとり古い木版畫の手觸のやうに、殘つてゐた懷かしい水郷の風俗も多くは忘られて、たゞ小さな街に殘つた氣も狹く口先のみ怜悧なあの眼の狡猾《こすつか》らい人士のみが小さな裁判沙汰に生噛りの法律論を鬪は
前へ 次へ
全140ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング