賣るという老舖見しごと。
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 それから年を經て、私はその瀉《がた》のなかに「ムツゴロ」といふ奇異《ふしぎ》な魚の棲息してゐることを知つた。そうしてその山椒魚《さんしよううを》に似た怪《あや》しい皮膚の、小さなゐもり状《じやう》の一群を恐ろしいもののやうに、覗きに行つた。後には吹矢《ふきや》のさきを二つに割《さ》いて、その眼や頭《あたま》を狙《ねら》つて殺して歩《ある》いたこともある。瀉にはまた「ワラスボ」といふ鰻に似て肌の生赤い斑點《ぶち》のある、ぬるぬるとした靜脈色の魚もゐた。魚といふよりも寧ろ蛇類の癩病にかかつた姿である。「メクワジヤ」と稱する貝は青くて病的な香を發する下等動物である。それを多食する吝嗇《けちんぼ》の女房はよく眼を病んで堀端《ほりばた》で鍋を洗つてゐた。「アゲマキ」という貝は瀟洒な薄黄色の殼《から》のなかに、やはり薄黄色の帽子をつけた片跛《かたちんば》の人間そのままの姿をして滑稽にもセピア色の褌をしめた小さな而して美味な生物である。その貝を捕る女は半切《はんぎり》を片手に引き寄せながら板子を滑らしては面白ろさうに走つてゆく。恰度、夏の入日があ
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