なかつた。それが何時《いつ》だつたか、それからどうしたか、さつぱり私には記憶がない。それが不圖《ふと》したことからある近親《みより》の人の眼を患つて肥前|小濱《をはま》の湯治場《たうぢば》に滯留してゐた頃、母と乳母とあかんぼと遙《はる》ばる船から海を渡つて見舞に行つた當時の出來事だということがわかつた。その話から、不思議《ふしぎ》に Tonka John の記憶にもまだ殘つてゐたことを聞いた時のその人の驚きはをかしいほどであつた。何故ならばその當時私はまだほんの乳《ち》のみ兒で當歳か、やつと二歳《ふたつ》かであつたのである。次で乳母の背《せ》なかから見た海は濁《にご》つた黄いろい象《ぞう》の皮膚のやうなものだつた。さうして潮の引いたあとの瀉《がた》の色の恐ろしいまで滑らかな傾斜はかの大空の反射をうけた群青の光澤とともに、如何に私の神經を脅かしたか、瀉といふものを見たことのない人には到底不可解のものであらう。この詩集には載せなかつたが、矢張り「思ひ出」の中に私はその時の恐怖を歌つたものがある。
[#ここから2字下げ]
海を見てはじめおそれぬ。
そは何時か、乳母の背に寢て、
色青き鯨の髯を
前へ
次へ
全140ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング