は憎いもののやうに毛蟲を踏みにじつた。女の子の唇にも毒々しい蝶の粉をなすりつけた。然しながら私は矢張りひとりぼつちだつた。ひとりぼつちで、靜かに蠶室の桑の葉のあひだに坐つて、幽かな音をたてては食み盡くす蠶の眼のふちの無智な薄|褐色《かばいろ》の慄《わなな》きを凝と眺めながら子供ごころにも寂しい人生の何ものかに觸れえたやうな氣がした。
夜になれば一番年のわかい熊本英語學校出の叔父がゆめのやうなその天守の欄干《てすり》に出てよく笛を吹いた。さうして彼方此方《あちらこちら》の秣《まぐさ》や凋れた南瓜の花のかげから山の兒どもが栗毛の汗のついた指で、しんみりと手づくりの笛を吹きはじめる。さうして何時も谷を隔てた圓い丘の上に、また圓《まんま》るな明るい月が夕照《ゆふやけ》の赤く殘った空を恰度《てうど》花札の二十坊主のやうにのぼつたものである。
かういふ時、私は晝の「催眠術」の代償として――この快活な叔父が曾て催眠術の新書を手に入れた事があつた。それからといふものは無理に私を蠶室の暗い一室に連れ込んで怪しい眼付やをかしな手眞似を爲はじめた、私は決して眠らなかつた。始めはよく轉げて笑つたものの、後
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