で、ただ柔順《おとな》しく、僅かに Gonshan(良家の娘、方言)のあの情の深さうな、そして流暢な、軟かみのある語韻の九州には珍らしいほど京都風なのに阿蘭陀訛の溶《とろ》け込んだ夕暮のささやきばかりがなつかしい。風俗の淫《みだ》らなのにひきかへて遊女屋のひとつも殘らず廢れたのは哀れぶかい趣のひとつであるが、それも小さな平和な街の小さな世間體を恐るゝ――利發な心が卑怯にも人の目につき易い遊びから自然と身を退くに至つたのであらう。いまもなほ黒いダアリヤのかげから、かくれ遊びの三味線は晝もきこえて水はむかしのやうに流れてゆく。

   3

 柳川を南に約半里ほど隔てて六騎《ロツキユ》の街《まち》沖《おき》ノ端《はた》がある。(六騎《ロツキユ》とはこの街に住む漁夫の諢名であって、昔平家沒落の砌に打ち洩らされの六騎がここへ落ちて來て初めて漁りに從事したといふ、而してその子孫が世々その業を繼襲し、繁殖して今日の部落を爲すに至つたのである。)畢竟は柳河の一部と見做すべきも、海に近いだけ凡ての習俗もより多く南國的な、怠惰けた規律《しまり》のない何となく投げやりなところがある。さうしてかの柳河のただ
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