よく近所の兒どもを集めて、あかい夕日のさし込んだ穀倉のなかで、温かな苅麥やほぐれた空俵《あきだはら》のかげを二十日鼠のやうに騷《さわ》ぎ囘つた。さうしてかくれんぼの息をひそめて、仲のいい女の兒と、とある隅の壁の方に肩を小さくして探《さが》し手を待つてゐる間に、しばしば埋もれた鶩の卵を見つけ出し、さうして棟木のかげからぬるぬる[#「ぬるぬる」に傍点]と匍ひ下る青大將のあの凄い皮肉《ひにく》な晝の眼つきを恐れた。
 日の中はかうしてうやむやに過ぎてもゆくが、夜が來て酒倉の暗い中から※[#「酉+元」、第3水準1−92−86、XXVIII−10]《もと》すり歌の櫂《かい》の音がしんみりと調子《てうし》をそろへて靜かな空の闇に消えてゆく時分《じぶん》になれば赤い三日月の差し入る幼兒《をさなご》の寢部屋の窓に青い眼をした生膽取《いきぎもとり》の「時」がくる。
 私は「夜」というものが怖《こは》かつた。何故にこんな明るい晝のあとから「夜」といふ厭な恐ろしいものが見えるのか、私は疑つた、さうして乳母の胸に犇《ひし》と抱きついては眼の色も變るまで慄《わなな》いたものだ。眞夜中の時計の音もまた妄想に痺れた Tonka John の小さな頭腦に生膽取の血のついた足音を忍びやかに刻みつけながら、時々深い奈落にでも引つ込むやうに、ボーンと時を點《う》つ。
 後《のち》には晝の日なかにも蒼白い幽靈を見るやうになつた。黒猫の背なかから臭《にほひ》の強い大麥の穗を眺めながら、前《さき》の世の母を思ひ、まだ見ぬなつかしい何人《なにびと》かを探すやうなあどけない眼つきをした。ある時はまた、現在のわが父母は果してわが眞實の親かといふ恐ろしい疑《うたがひ》に罹《かか》つて酒桶のかげの蒼じろい黴《かび》のうへに素足をつけて、明るい晝の日を寂しい倉のすみに坐つた。その恐ろしい謎《なぞ》を投げたのは氣狂《きちがひ》のおみかの婆である。温かい五月の苺の花が咲くころ、樂しげに青い硝子を碎いて、凧の絲の鋭い上にも鋭いやうに瀝青《チヤン》の製造に餘念もなかつた時、彼女《かれ》は恐ろしさうに入つて來た、さうして顫へてる私に、Tonka John. 汝《おまへ》のお母《つか》さんは眞實《ほんと》のお母さんかろ、返事をなさろ、證據があるなら出して見んの――私は青くなつた、さうして駈けて母のふところに抱きついたものの、また恐ろ
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