ん》がうろつき、
黒猫がふわりとあるく…………夜は黒。

夜は黒…………おそろしい、忍びやかな盜人《ぬすびと》の黒。
定九郎の蛇目傘《じやのめがさ》、
誰だか頸《くび》すぢに觸《さわ》るやうな、
力のない死螢の翅《はね》のやうな。

夜は黒…………時計の數字の奇異《ふしぎ》な黒。
血潮のしたたる
生《なま》じろい鋏を持つて
生膽取《いきぎもとり》のさしのぞく夜。

夜は黒…………瞑《つぶ》つても瞑つても、
青い赤い無數《むすう》の靈《たましひ》の落ちかかる夜。
耳鳴《みみなり》の底知れぬ夜《よる》。
暗い夜。
ひとりぼつちの夜。

夜…………夜…………夜…………


 感覺


わが身は感覺のシンフオニー、
眼は喇叭、
耳は鐘、
唇は笛、
鼻は胡弓。

その病める頬を投げいだせ、
たんぽぽの光りゆく草生《くさぶ》に、
肌《はだへ》はゆるき三味線の
三の絲の手ざはり。

見よ、少年の秘密は
玉蟲のごとく、
赤と青との甲斐絹《かひき》のごとく、
滑りかがやく官能のうらおもて。

その感覺を投げいだせ――
黒猫は眼を据ゑてたぶらかし、
酸漿《ほほづき》は眞摯《まじめ》に孕《はら》み、
緑いろの太陽は酒倉に照る。

全神經を投げいだせ、
紫の金の蜥蜴《とかげ》のかなしみは
素肌をつけてはしりゆく、
いら草の葉に、韮《にら》の葉に。

げに、幻想のしたたりの
恐れと、をののきと、啜泣き、
匿《かく》しきれざる性のはづみを彈ねかへせ、
美くしきわが夢の、笛の喇叭の春の曲。


 晝のゆめ


酒倉の強き臭《にほひ》を嗅ぐときは
夏のさみしく、
油屋の黄なる搾木《しめぎ》をきくときは
秋のかなしく、

少年の感じ易さは、怪しさは、
あはれ、ひねもす、
金文字の古き蘭書に耳をあて
黒猫の晝の瞳に見るごとく、
冬もゆめみぬ、ゆゑわかぬ春のシムフオニイ。


 朱欒のかげ


弟よ、
かかる日は喧嘩《いさかひ》もしき。
紫蘇《しそ》の葉のむらさきを、韮《にら》をまた踏みにじりつつ、
われ打ちぬ、汝《なれ》打ちぬ、血のいづるまで、
柔《やはら》かなる幼年の體《からだ》の
こころよく、こそばゆく手に痛《いた》きまで。

豚小屋のうへにザボンの實黄にかがやきて、
腐れたるものの香に日のとろむとき、
われはまた汝《な》が首を擁《いだ》きしめ、擁きしめ、
かぎりなき夕ぐれの味覺に耽る。

ふくれ
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