との》はぬ夜《よ》のピアノ淫《みだ》れさやげど、
ひとびとは声もなし、河の面《おも》をただに熟視《みつ》むる。
はた、甕《かめ》のふたならび、さこそあれ夢はたゆたひ、
内と外《そと》かぎりなき懸隔《へだたり》に帷《とばり》堕《お》つれば、
あな悲し、あな暗《くら》し、醋《す》の沈黙《しじま》長くひびかふ。

   D 沈丁花

なまめけるわが女《をみな》、汝《な》は弾《ひ》きぬ夏の日の曲《きよく》、
悩《なや》ましき眼《め》の色に、髪際《かうぎは》の紛《こな》おしろひに、
緘《つぐ》みたる色あかき唇《くちびる》に、あるはいやしく
肉《ししむら》の香《か》に倦《う》める猥《みだ》らなる頬《ほ》のほほゑみに。

響《ひび》かふは呪《のろ》はしき執《しふ》と欲《よく》、ゆめもふくらに
頸《うなじ》巻く毛のぬくみ、真白《ましろ》なるほだしの環《たまき》
そがうへに我ぞ聴《き》く、沈丁花《ぢんてうげ》たぎる畑《はたけ》を、
堪《た》へがたき夏の日を、狂《くる》はしき甘《あま》きひびきを。

しかはあれ、またも聴く、そが畑《はた》に隣《とな》る河岸《かし》側《きは》、
色ざめし浅葱幕《あさぎまく》
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