逃《のが》れ来し身にはあれども、
なほ遠く君をしぬべば、
ほうほう……と笛はうるみて、
いづらへか、黒船《くろふね》きゆる。
廊下《らうか》ゆく重き足音《あしおと》。
みかへれば暗《くら》きひと間《ま》に
残《のこ》る火は血のごと赤く、
腐《くさ》れたる林檎《りんご》のにほひ、
そことなく涙をさそふ。
[#地付き]三十九年九月
柑子
蕭《しめ》やかにこの日も暮《く》れぬ、北国《きたぐに》の古き旅籠屋《はたごや》。
物《もの》焙《あ》ぶる炉《ゐろり》のほとり頸《うなじ》垂れ愁《うれ》ひしづめば
漂浪《さすらひ》の暗《くら》き山川《やまかは》そこはかと。――さあれ、密《ひそ》かに
物ゆかし、わかき匂《にほひ》のいづこにか濡れてすずろぐ。
女《め》あるじは柴《しば》折り燻《くす》べ、自在鍵《じざいかぎ》低《ひく》くすべらし、
鍋かけぬ。赤ら顔して旅《たび》語る商人《あきうど》ふたり。
傍《かたへ》より、笑《ゑ》みて静かに籠《かたみ》なる木の実|撰《え》りつつ、
家《いへ》の子は卓《しよく》にならべぬ。そのなかに柑子《かうじ》の匂《にほひ》。
ああ、柑子《かうじ》、黄金《こがね
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