き庖厨《くリや》のほてり、
絵草子《ゑざうし》の匂《にほひ》にまじり
物《もの》あぶる騒《さや》ぎこもごも、
焼酎《せうちう》のするどき吐息《といき》
針《はり》のごと肌《はだ》刺《さ》す夕《ゆふべ》。

ながむれば葉柳《はやなぎ》つづき、
色硝子《いろがらす》濡《ぬ》るる巷《こうぢ》を、
横浜《はま》の子が智慧《ちゑ》のはやさよ、
支那料理《しなれうり》、よひの灯影《ほかげ》に
みだらうたあはれに歌《うた》ふ。

ややありて月はのぼりぬ。
清らなる出窓《でまど》のしたを
からころと軋《きし》む櫓《ろ》の音《おと》。
鉄格子《てつかうし》ひしとすがりて
黄金髪《こがねがみ》わかきをおもふ。

数《かず》おほき罪に古《ふ》りぬる
初恋《はつこひ》のうらはかなさは
かかる夜《よ》の黒《くろ》き波間《なみま》を
舟《ふな》かせぎ、わたりさすらふ
わかうどが歌《うた》にこそきけ。

色《いろ》ふかき、ミラノのそらは
日本《ひのもと》のそれと似《に》たれど、
ここにして摘《つ》むによしなき
素馨《ジエルソミノ》、海のあなたに
接吻《くちつけ》のかなしきもあり。

国を去り、昨《きそ》にわかれて

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