うということになる。「明日きせざめや」を契沖は、「明日着セザラメヤ」と解《と》いたが、それよりも「明日来せざらめや也。明日来といふは、凡《すべ》て月日の事を来歴《きへ》ゆくと言ひて、明日の日の来る事也」という略解《りゃくげ》(宣長説)の穏当を取るべきであろう。これも田園民謡で、直接法をしきりに用いているのがおもしろく、特に結句の「いざ・せ・小床に」というのはただの七音の中にこれだけ詰めこんで、調子を破らないのは、なかなか旨《うま》いものである。
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児《こ》もち山若《やまわか》かへるでの黄葉《もみづ》まで寝《ね》もと吾《わ》は思《も》ふ汝《な》は何《あ》どか思《も》ふ 〔巻十四・三四九四〕 東歌
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「児持山」は伊香保温泉からも見える山で、渋川町の北方に聳《そび》えている。一首は、あの子持山の春の楓《かえで》の若葉が、秋になって黄葉《もみじ》するまでも、お前と一しょに寝ようと思うが、お前はどうおもう、というので、誇張するというのは既に親しんでいる証拠でもあり、その親しみが露骨でもあるから、一般化し得る特色を有《も》つのである。「汝は何《あ》どか思ふ」と促すところは、会話の語気その儘《まま》であるので感じに乗ってくるのである。「吾をぞも汝に依《よ》すとふ、汝はいかに思《も》ふや」(巻十三・三三〇九)という長歌の句は、この東歌に比して間が延びて居るように感ずるのである。
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高《たか》き峰《ね》に雲《くも》の着《つ》く如《の》す我《われ》さへに君《きみ》に着《つ》きなな高峰《たかね》と思《も》ひて 〔巻十四・三五一四〕 東歌
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高い山に雲が着くように、私までも、あなたに着きましょう、あなたを高い山だとおもって、というので、何か諧謔《かいぎゃく》の調のあるのは、親しみのうちに大勢してうたえるようにも出来ており、民謡特有の無遠慮な直接性があるのである。高峰を繰返してもいるが、結句の「高峰ともひて」には親しい甘いところがあっていい。
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我《あ》が面《おも》の忘《わす》れむ時《しだ》は国《くに》溢《はふ》り峰《ね》に立《た》つ雲《くも》を見《み》つつ偲《しぬ》ばせ 〔巻十四・三五一五〕 東歌
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あなたが旅にあって、若《も》しも私の顔をお忘れになるような時は、国に溢《あふ》れて立つ雲の峰を御覧になっておもい出して下さいませ、というので、これは寄[#レ]雲恋というように分類しているが、雲の峰を常に見ているのでこういう聯想になったものであろう。この誇張らしいいい方《かた》は諧謔《かいぎゃく》でない重々しいところがあるので感が深いようである。この歌の次の、「対馬《つしま》の嶺《ね》は下雲《したぐも》あらなふ上《かむ》の嶺《ね》にたなびく雲を見つつ偲ばも」(巻十四・三五一六)は、男の歌らしいから、防人《さきもり》の歌ででもあって、前のは防人の妻ででもあろうか。なお、「面形《おもがた》の忘れむ時《しだ》は大野《おほぬ》ろにたなびく雲を見つつ偲ばむ」(同・三五二〇)も類似の歌であるが、この「国溢り」の歌が一番よい。なお、「南吹き雪解《ゆきげ》はふりて、射水がはながる水泡《みなわ》の」(巻十八・四一〇六)、「射水《いみづ》がは雪解|溢《はふ》りて、行く水のいやましにのみ、鶴《たづ》がなくなごえの菅《すげ》の」(同・四一一六)の例もあり、なお、「君が行く海辺の宿に霧立たば吾《あ》が立ち嘆く息と知りませ」(巻十五・三五八〇)等、類想のものが多い。
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昨夜《きそ》こそは児《こ》ろとさ宿《ね》しか雲《くも》の上《うへ》ゆ鳴《な》き行《ゆ》く鶴《たづ》の間遠《まどほ》く思《おも》ほゆ 〔巻十四・三五二二〕 東歌
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「雲の上ゆ鳴き行く鶴の」は「間遠く」に続く序詞であるから、一首は、あの娘とは昨晩寝たばかりなのに、だいぶ日数が立ったような気がするな、というので、こういう発想は東歌でないほかの歌にもあるけれども、「雲の上ゆ鳴き行く鶴の」は、なかなかの技巧である。
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防人《さきもり》に立《た》ちし朝《あさ》けの金門出《かなとで》に手放《たばな》れ惜《を》しみ泣《な》きし児《こ》らはも 〔巻十四・三五六九〕 東歌・防人
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未勘国《いまだかんがえざるくに》防人の歌。「金門《かなと》」は既にあったごとく「門《かど》」である。「手放れ」は手離で、別れることだが、別れに際しては手を握ったことが分かる。これは人間の自然行為で必ずしも西洋とは限らぬ。そこで、此処は、「た」は添辞とせずに、「手」に意味を持たせるのである。併しそれは字面の問題で、実際の気持は別《わかれ》を惜しむことで、そこで、「泣きし児らはも」が利《き》くのである。これは、君命を帯びて辺土の防備に行くのだが、その別を悲しむ歌である。これも彼等の真実の一面、また、「大君の辺《へ》にこそ死なめ和《のど》には死なじ」も真実の一面である。全体がめそめそばかりではないのである。
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葦《あし》の葉《は》に夕霧《ゆふぎり》立《た》ちて鴨《かも》が音《ね》の寒《さむ》き夕《ゆふべ》し汝《な》をば偲《しぬ》ばむ 〔巻十四・三五七〇〕 東歌・防人
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これも防人の歌で、葦の葉に夕霧が立って、そこに鴨が鳴く、そういう寒い晩には、というので、具象的にいっている。そして、「汝をば偲ばむ」というのだから、いまだそういう場合にのぞまない時の歌である。東歌の歌調に似ない巧なところがあるから、幾らか指導者があったのかも知れない。併しもとの作はやはり防人《さきもり》本人で、哀韻の迫ってくるのはそのためであろう。「葦《あし》べゆく鴨の羽交《はがひ》に霜ふりて寒き夕は大和《やまと》しおもほゆ」(巻一・六四)という志貴皇子の御歌に似ている。
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東歌の選鈔《せんしょう》は大体右の如くであるが、東歌はなお特殊なものは幾つかあり、秀歌という程でなくとも、注意すべきものだから次に記し置くのである。
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さ寝《ぬ》らくはたまの緒《を》ばかり恋ふらくは富士の高嶺《たかね》の鳴沢《なるさは》の如《ごと》 (巻十四・三三五八)
足柄《あしがり》の土肥《とひ》の河内《かふち》に出づる湯の世にもたよらに児ろが言はなくに (同・三三六八)
入間道《いりまぢ》の大家《おほや》が原のいはゐづら引かばぬるぬる吾《わ》にな絶えそね (同・三三七八)
我背子《わがせこ》を何《あ》どかもいはむ武蔵野のうけらが花の時無きものを (同・三三七九)
筑波嶺にかが鳴く鷲《わし》の音《ね》のみをか鳴き渡りなむ逢ふとは無しに (同・三三九〇)
小筑波の嶺《ね》ろに月立《つくた》し逢ひだ夜は多《さはだ》なりぬをまた寝てむかも (同・三三九五)
伊香保ろの傍《そひ》の榛原《はりはら》ねもころに奥をな兼ねそまさかし善《よ》かば (同・三四一〇)
上毛野《かみつけぬ》伊奈良《いなら》の沼の大藺草《おほゐぐさ》よそに見しよは今こそまされ (同・三四一七)
薪《たきぎ》樵《こ》る鎌倉山の木垂《こだ》る木をまつと汝《な》が言はば恋ひつつやあらむ (同・三四三三)
うらも無く我が行く道に青柳《あおやぎ》の張りて立てればもの思《も》ひ出《づ》つも (同・三四四三)
草蔭の安努《あぬ》な行かむと墾《は》りし道|阿努《あぬ》は行かずて荒草立《あらくさだ》ちぬ (同・三四四七)
ま遠《どほ》くの野にも逢はなむ心なく里の真中《みなか》に逢へる夫《せな》かも (同・三四六三)
佐野《さぬ》山に打つや斧音《をのと》の遠かども寝《ね》もとか子ろが面《おも》に見えつる (同・三四七三)
諾児汝《うべこな》は吾《わぬ》に恋ふなも立《た》と月《つく》の流《ぬが》なへ行けば恋《こふ》しかるなも (同・三四七六)
橘の古婆《こば》のはなりが思ふなむ心|愛《うつく》しいで吾《あれ》は行かな (同・三四九六)
河上《かはかみ》の根白高萱《ねじろたかがや》あやにあやにさ宿《ね》さ寐《ね》てこそ言《こと》に出《で》にしか (同・三四九七)
岡に寄せ我が刈る草《かや》の狭萎草《さねがや》のまこと柔《なごや》は寝《ね》ろとへなかも (同・三四九九)
安斉可潟《あせかがた》潮干の緩《ゆた》に思へらば朮《うけら》が花の色に出めやも (同・三五〇三)
青嶺《あをね》ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこの頃 (同・三五一一)
一嶺《ひとね》ろに言はるものから青嶺《あをね》ろにいさよふ雲のよそり妻はも (同・三五一二)
夕さればみ山を去らぬ布雲《にぬぐも》の何《あぜ》か絶えむと言ひし児ろはも (同・三五一三)
沼二つ通は鳥が巣|我《あ》がこころ二行《ふたゆ》くなもと勿《な》よ思《も》はりそね (同・三五二六)
妹をこそあひ見に来《こ》しか眉曳《まよびき》の横山|辺《へ》ろの鹿《しし》なす思《おも》へる (同・三五三一)
垣越《くへご》しに麦食むこうまのはつはつに相見し子らしあやに愛《かな》しも (同・三五三七)
青柳のはらろ川門《かはと》に汝を待つと清水《せみど》は汲まず立所《たちど》平《なら》すも (同・三五四六)
たゆひ潟潮満ちわたる何処《いづ》ゆかも愛《かな》しき夫《せ》ろが吾許《わがり》通はむ (同・三五四九)
塩船《しほぶね》の置かれば悲しさ寝つれば人言《ひとごと》しげし汝《な》を何《ど》かも為《し》む (同・三五五六)
悩《なやま》しけ人妻《ひとづま》かもよ漕《こ》ぐ船の忘れは為無《せな》な弥《いや》思《も》ひ増すに (同・三五五七)
彼《か》の児ろと宿《ね》ずやなりなむはた薄裏野《すすきうらぬ》の山に月《つく》片寄《かたよ》るも (同・三五六五)
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巻第十五
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あをによし奈良《なら》の都《みやこ》にたなびける天《あま》の白雲《しらくも》見《み》れど飽《あ》かぬかも 〔巻十五・三六〇二〕 作者不詳
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新羅《しらぎ》に使に行く入新羅使以下の人々が、出帆の時には別《わかれ》を惜しみ、海上にあっては故郷を懐《おも》い、時には船上に宴を設けて「古歌」を吟誦した。その古歌幾つかが纏《まと》まって載っているが、此歌もその一つで雲を詠じた歌だと注してある。一首は、奈良の都の上にたなびいて居る、天の白雲の豊大な趣を讃美した歌であるが、作者も分からず、どういう時に詠《よ》んだものかも分かっていない。ただ雲を詠んだものとして、豊かな大きい調子があるので吟誦にも適し、また奈良の家郷を偲《しの》ぶのにふさわしいものとして選ばれたものであろう。この新羅使は天平八年であるが、その時にもうこの歌の如きは古調に響いたのであったのかも知れない。此処に、人麿作五つばかり幾らか変化しつつ載って居り、左注でその事を注意しているところを見ると、この歌も、上の句の、「あをによし奈良の都に」の句は変化したもので、原作は、「奈良の都に」などでなく、山のうえとか海上とか、或は序詞などで続けたものか、そういうものだったかも知れない。いずれにしても、「天の白雲見れど飽かぬかも」の句は形式的な感じもあるが、なかなかよいものである。
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わたつみの海《うみ》に出《い》でたる飾磨河《しかまがは》絶《た》えむ日にこそ吾《あ》が恋《こひ》止《や》まめ 〔巻十五・三六〇五〕 作者不詳
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この歌も新羅使の一行が、船上で「古歌」として吟誦したもので、恋の歌と注してある。「飾磨《しかま》河」は播磨《はりま》で、今姫路市
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