のに、万葉では平然として成し遂げている。

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さ寝《ね》かにば誰《たれ》とも宿《ね》めど沖《おき》つ藻《も》の靡《なび》きし君《きみ》が言《こと》待《ま》つ吾《われ》を 〔巻十一・二七八二〕 作者不詳
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 おれと一しょに寝《い》ね兼《か》ねるというのなら、おれは誰とでも寝よう。併し一旦《いったん》おれに靡《なび》き寄ったお前のことだから、お前の決心を待っていよう、もう一度思案して、おれと一しょに寝ないかというので、男が女にむかっていうように解釈した。そうすれば「君」は女のことで、今の口語なら、「お前」ぐらいになる。この歌もなかなか複雑している内容だが、それを事も無げに詠《よ》み了《おお》せているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことが出来ないのである。初句、「さ寝かにば」は、「さ寝兼ねば」で、寝ることが出来ないならばである。結句の「吾を」の「を」は「よ」に通う詠歎の助詞である。

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山吹《やまぶき》のにほへる妹《いも》が唐棣花色《はねずいろ》の赤裳《あかも》のすがた夢《いめ》に見えつつ 〔巻十一・二七八六〕 作者不詳
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 この歌は、一首の中に山吹と唐棣《はねず》即ち庭梅《にわうめ》とを入れてそれの色彩を以て組立てている歌だが、少しく単純化が足りないようである。それにも拘《かか》わらず此歌を選んだのは、夢に見た恋人が、唐棣《はねず》色の赤裳を着けていたという、そういう色までも詠み込んでいるのが珍しいからである。万葉集の歌は夢をうたうにしても、かく具体的で写象が鮮明であるのを注意すべきである。

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こもりづの沢《さは》たづみなる石根《いはね》ゆも通《とほ》しておもふ君《きみ》に逢《あ》はまくは 〔巻十一・二七九四〕 作者不詳
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 この歌も、谿間《たにま》の水の具合をよく観ていて、それを序詞としたのに感心すべく、隠れた水、沢にこもり湧く水が、石根をも通し流れるごとくに、一徹におもっております、あなたに逢うまでは、というので山の歌らしくおもえる。この巻に、「こもりどの沢泉《さはいづみ》なる石根をも通してぞおもふ吾が恋ふらくは」(巻十一・二四四三)というのがあるが、二四四三の方が原歌で、二七九四の方は分かり易く変化したものであろう。そうして見れば、「石根ゆも」は「石根をも」と類似の意味か。

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人言《ひとごと》を繁《しげ》みと君《きみ》を鶉《うづら》鳴《な》く人《ひと》の古家《ふるへ》に語《かた》らひて遣《や》りつ 〔巻十一・二七九九〕 作者不詳
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 人の噂《うわさ》がうるさいので、鶉鳴く古い空家のようなところに連れて行って、そこでいろいろとお話をして帰したというので、「君」をば男と解釈していいだろう。この歌で、「語らひて遣りつ」の句は、まことに働きのあるものである。訓は大体|考《こう》・略解《りゃくげ》に従った。

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あしひきの山鳥《やまどり》の尾《を》の垂《しだ》り尾《を》の長《なが》き長夜《ながよ》を一人《ひとり》かも宿《ね》む 〔巻十一・二八〇二〕 作者不詳
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 この歌は、「念《おも》へども念ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を」(巻十一・二八〇二)の別伝として載《の》っているが、拾遺集恋に人麿作として載り小倉百人一首にも選ばれたから、此処に選んで置いた。内容は、「長き長夜をひとりかも寝む」だけでその上は序詞であるが、この序詞は口調もよく気持よき聯想を伴《ともな》うので、二八〇二の歌にも同様に用いられた。なお、「あしひきの山鳥の尾の一峰《ひとを》越え一目《ひとめ》見し児に恋ふべきものか」(同・二六九四)の如き一首ともなっている。「尾《を》の一峰《ひとを》」と続き山を越えて来た趣になっている。この「あしひきの山鳥の尾の」の歌は序詞があるため却って有名になったが、この程度の序詞ならば万葉に可なり多い。
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巻第十二

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わが背子が朝《あさ》けの形《すがた》能《よ》く見《み》ずて今日《けふ》の間《あひだ》を恋《こ》ひ暮《く》らすかも 〔巻十二・二八四一〕 柿本人麿歌集
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 私の夫が朝早くお帰りになる時の姿をよく見ずにしまって、一日じゅう物足りなく心寂しく、恋しく暮しております、というのである。「朝明《あさけ》の形《すがた》」という語は、朝別れる時の夫の事をいうのだが、簡潔に斯ういったのは古語の好い点である。「今日のあひだ」という語も好い語で、「梅の花折りてかざせる諸人《もろびと》は今日の間《あひだ》は楽しくあるべし」(巻五・八三二)、「真袖もち床うち払ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ」(巻十一・二六六七)、「行方《ゆくへ》無みこもれる小沼《をぬ》の下思《したもひ》に吾ぞもの思ふ此の頃の間」(巻十二・三〇二二)等の例がある。なお、「朝戸出《あさとで》の君が光儀《すがた》をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ」(巻十・一九二五)があって、外形は似ているが此歌に及ばないのは、此歌は未《いま》だ個的なところが失せないからであろうか。

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愛《うつく》しみ我《わ》が念《も》ふ妹《いも》を人《ひと》みなの行《ゆ》く如《ごと》見《み》めや手《て》に纏《ま》かずして 〔巻十二・二八四三〕 柿本人麿歌集
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 おれの恋しくおもう女が、今|彼方《かなた》を歩いているが、それをば普通並の女と一しょにして平然と見て居られようか、手にも纏くことなしに、というのである。あの女を手にも纏かずに居るのはいかにも辛《つら》いが、人目が多いので致し方が無いということが含まっている。これだけの意味だが、こう一首に為上《しあ》げられて見ると、まことに感に乗って来て棄てがたいものである。「人皆の行くごと見めや」の句は強くて情味を湛《たた》え、情熱があってもそれを抑《おさ》えて、傍観しているような趣が、この歌をして平板から脱却せしめている。無論民謡風ではあるが、未だ語気が求心的である。

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山河《やまがは》の水陰《みづかげ》に生《お》ふる山草《やますげ》の止《や》まずも妹《いも》がおもほゆるかも 〔巻十二・二八六二〕 柿本人麿歌集
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 上句は序詞で、中味は、「やまずも妹がおもほゆるかも」だけの歌で別に珍らしいものではない。また、「山菅のやまずて君を」、「山菅のやまずや恋ひむ」等の如く、「山菅の・やまず」と続けたのも別して珍らしくはない。ただ、山中を流れている水陰《みずかげ》にながく靡《なび》くようにして群生している菅《すげ》という実際の光景、特に、「水陰」という語に心を牽《ひ》かれて私はこの歌を選んだ。この時代の人は、幽玄などとは高調しなかったけれども、こういう幽かにして奥深いものに観入していて、それの写生をおろそかにしてはいないのである。此歌は人麿歌集出だから人麿或時期の作かも知れない。「あまのがは水陰《みづかげ》草の」(巻十・二〇一三)とあるのも、こういう草の趣であろうか。

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朝《あさ》去《ゆ》きて夕《ゆふべ》は来《き》ます君《きみ》ゆゑにゆゆしくも吾《あ》は歎《なげ》きつるかも 〔巻十二・二八九三〕 作者不詳
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「君ゆゑに」は、屡《しばしば》出てくる如く、「君によって恋うる」、即ち「君に恋うる」となるのだが、もとは、「君があるゆえにその君に恋うる」という意であったのであろうか。一首の意は、朝はお帰りになっても夕方になるとまたおいでになるあなたであるのに、我ながら忌々《いまいま》しくおもう程に、あなたが恋しいのです、待ちきれないのです、という程の歌で、此処の「ゆゆし」は忌々《いまいま》し、厭《いと》わしぐらいの意。「言《こと》にいでて言はばゆゆしみ山川の激《たぎ》つ心をせかへたるかも」(巻十一・二四三二)の如き例がある。この巻十一の歌の結句訓は、「せきあへてけり」(略解)、「せきあへにたり」(新訓)、「せきあへてあり」(総釈)等がある。「ゆゆし」は、慎《つつ》しみなく、憚《はばか》らずという意もあって、結局同一に帰するのだから、此歌の場合も、「慎しみもなく」と翻《ほん》してもいいが、忌々しいの方がもっと直接的に響くようである。

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玉勝間《たまかつま》逢《あ》はむといふは誰《たれ》なるか逢《あ》へる時《とき》さへ面隠《おもがく》しする 〔巻十二・二九一六〕 作者不詳
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「玉勝間」は逢うの枕詞で、タマは美称、カツマはカタマ(籠・筐)で、籠には蓋《ふた》があって蓋と籠とが合うので、逢うの枕詞とした。一首の意は、一体逢おうといったのは誰でしょう。それなのに折角《せっかく》逢えば、顔を隠したり何かして、というので、男女間の微妙な会話をまのあたり聞くような気持のする歌である。これは男が女に向っていっているのだが、云われて居る女の甘い行為までが、ありありと眼に見えるような表現である。女の男を回避するような行為がひどく覚官的であるが、それが毫《ごう》も婬靡《いんび》でないのは簡浄《かんじょう》な古語のたまものである。前にも、「面隠さるる」というのがあったが、また、「面無《おもな》み」というのもあり、実体的で且《か》つ微妙な味いのあるいい方である。

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幼婦《をとめご》は同《おな》じ情《こころ》に須臾《しましく》も止《や》む時《とき》も無《な》く見《み》むとぞ念《おも》ふ 〔巻十二・二九二一〕 作者不詳
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 この幼婦《おとめ》のわたくしも、あなた同様、暫《しば》らくも休むことなく、絶えずあなたにお逢いしたいのです、というのであるが、男から、絶えずお前を見たいと云って来たのに対して、こういうことを云ったものであろう。この歌では、「同じこころに」と云ったのが好い。「死《しに》も生《いき》も同じ心と結びてし友や違《たが》はむ我も依りなむ」(巻十六・三七九七)、「紫草《むらさき》を草と別《わ》く別《わ》く伏す鹿の野は異《こと》にして心は同じ」(巻十二・三〇九九)等が参考になるだろう。なお、この歌で注意すべきは、「幼婦《をとめご》は」といったので、これは「わたくしは」というのと同じだが、客観的に「幼婦は」というのに却《かえ》って親しみがあるようであり、「幼婦《をとめご》」というから此歌がおもしろいのである。

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今《いま》は吾《あ》は死《し》なむよ我背《わがせ》恋《こひ》すれば一夜《ひとよ》一日《ひとひ》も安《やす》けくもなし 〔巻十二・二九三六〕 作者不詳
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 一首の意は、あなたよ、もう私は死んでしまう方が益《ま》しです、あなたを恋すれば日は日じゅう夜は夜じゅう心の休まることはありませぬ、というので、女が男に愬《うった》えた趣《おもむき》の歌である。「死なむよ」は、「死なむ」に詠歎の助詞「よ」の添わったもので、「死にましょう」となるのであるが、この詠歎の助詞は、特別の響を持ち、女が男に愬える言葉としては、甘くて女の声その儘《まま》を聞くようなところがある。この歌を選んだのは、そういう直接性が私の心を牽《ひ》いたためであるが、後世の恋歌になると、文学的に間接に堕《お》ち却って悪くなった。
 巻四(六八四)、大伴坂上郎女の
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