とがこの例でも分かるし、前出の、「大和には鳴きてか来らむ呼子鳥」(巻一・七〇)の歌を想起し得る。石上《いそのかみ》卿の、「ここにして家やもいづく白雲の棚引く山を越えて来にけり」(巻三・二八七)の例がある。
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山科《やましな》の木幡《こはた》の山《やま》を馬《うま》はあれど歩《かち》ゆ吾《わ》が来《こ》し汝《な》を念《おも》ひかね 〔巻十一・二四二五〕 柿本人麿歌集
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寄[#レ]物陳[#レ]思という部類の歌に入れてある。人麿歌集出。「山科の木幡の山」は、山城宇治郡、現在宇治村木幡で、桃山御陵の東方になっている。前の歌に、強田《こはだ》とあったのと同じである。一首の意は、山科の木幡の山道をば徒歩でやって来た。おれは馬を持っているが、お前を思う思いに堪えかねて徒歩で来たのであるぞ、というのである。旧訓ヤマシナノ・コハダノヤマニ。考ヤマシナノ・コハダノヤマヲ。つまり、「木幡の山を歩み吾が来し」となるので、なぜ、「馬はあれど」と云ったかというに、馬の用意をする暇もまどろしくて、取るものも取《とり》あえず、というのであろう。本来馬で来れば到着が早いのであるが、それは理論で、まどろしく思う情の方は直接なのである。詩歌では情の直接性を先にするわけになるから、こういう表現となったものである。女にむかっていう語として、親しみがあっていい。
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大船《おほふね》の香取《かとり》の海《うみ》に碇《いかり》おろし如何《いか》なる人《ひと》か物《もの》念《おも》はざらむ 〔巻十一・二四三六〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。「大船の香取の海に碇おろし」までは、「いかり」から「いかなる」に続けた序詞であるから、一首の内容は、「いかなる人か物念はざらむ」、即ち、おれはこんなに恋に苦しんで居るが、世の中のどんな人でも恋に苦しまないものはあるまい、というだけの歌である。序詞は意味よりも声調にあるので、何か重々しいような声調で心持を暗指するぐらいに解釈すればいい。「香取の海」は、近江にも下総にもあるが、「高島の香取の浦ゆ榜ぎでくる舟」(巻七・一一七二)とある近江湖中の香取の浦としていいだろう。なおこの巻(二七三八)に、「大船のたゆたふ海に碇《いかり》おろし如何にせばかも吾が恋ひ止まむ」とあるのと類似して居り、この二七三八の方は異伝であろう。
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ぬばたまの黒髪山《くろかみやま》の山菅《やますげ》に小雨《こさめ》零《ふ》りしきしくしく思《おも》ほゆ 〔巻十一・二四五六〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。この歌の内容は、ただ、「しくしく思ほゆ」だけで、そのうえは序詞である。ただ黒髪山の山菅《やますげ》に小雨の降るありさまと相通ずる、そういううら悲しいような切《せつ》なおもいを以て序詞としたものであろう。山菅は山に生えるスゲのたぐい、或はヤブラン、リュウノヒゲ一類、どちらでも解釈が出来、古人はそういうものを一つ草とおもっていたものと見えるから、今の本草学の分類などで律しようとすると解釈が出来なくなって来るのである。この歌も取りわけ秀歌という程のものでないが、ただ結句だけで内容とする歌も珍しいので選んで置いた。
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我背子《わがせこ》に吾《わ》が恋《こ》ひ居《を》れば吾《わ》が屋戸《やど》の草《くさ》さへ思《おも》ひうらがれにけり 〔巻十一・二四六五〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。一首の意は、私の夫を待遠しく恋しがって居ると、家の庭の草さえも思い悩んで枯れてしまいました、というので女の歌である。「吾が恋ひ居れば吾が屋戸の」という具合に、「わが」を繰返しているのは、意識的らしく、少しく軽く聞こえるが、「草さへ思ひうらがれにけり」という息の長い、伸々した調《しらべ》によって落着《おちつき》を得ているのは注意すべきである。特にこの下の句は伸びているうちに、悲哀の感動を含めたものだから、上の句の稍《やや》小きざみになったのは自然の調べなのか、よく分らないが、「我が」を三つも繰返したのは感心しない。そこに行くと、「君待つと吾が恋ひ居ればわが屋戸《やど》の簾《すだれ》うごかし秋の風吹く」(巻四・四八八)の方が旨《うま》い。似ているが初句の「君待つと」で緊《しま》っている。結句は、近時橋本氏によって、ウラブレニケリの訓が唱えられた。
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山萵苣《やまちさ》の白露《しらつゆ》おもみうらぶるる心《こころ》を深《ふか》み吾《わ》が恋《こ》ひ止《や》まず 〔巻十一・二四六九〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。山萵苣《やまちさ》は食用にする萵苣《ちさ》で、山に生えるのを山萵苣といったものであろう。エゴの木だという説もあるが、白露おくという草に寄せた歌だから、大体食用の萵苣と解釈していいようである。露のために花のしなっているように心の萎《しな》える心持で序詞とした。この歌も取りたてていう程のものでないが、「心を深みわが恋ひ止まず」の句が棄てがたいから選んで置いたし、萵苣は食用菜で、日常生活によって見ているものを持って来たのがおもしろいと思ったのである。
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垂乳根《たらちね》の母《はは》が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りこもれる妹《いも》を見《み》むよしもがも 〔巻十一・二四九五〕 柿本人麿歌集
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同上、人麿歌集出。第三句迄は序詞で、母の飼っている蚕《かいこ》が繭《まゆ》の中に隠《こも》るように、家に隠って外に出ない恋しい娘を見たいものだ、というので、この繭のことを云うのも日常生活の経験を持って来ている。蚕に寄する恋といっても、題詠ではなく、斯《こ》ういう歌が先ず出来てそれから寄[#レ]物恋と分類したものである。この歌は序詞のおもしろみというよりも、全体が実生活を離れず、特に都会生活でない農民生活を示すところがおもしろいのである。巻十二(二九九一)に、「垂乳根の母が養《か》ふ蚕《こ》の繭隠《まよごも》りいぶせくもあるか妹にあはずて」というのがあり、巻十三(三二五八)の長歌に、「たらちねの母が養ふ蚕の、繭隠り気衝《いきづ》きわたり」というのがあるが、やはり此歌の方が旨い。「いぶせく」では続きが突如としても居り、不自然で妙味がないようである。
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垂乳根《たらちね》の母《はは》に障《さは》らばいたづらに汝《いまし》も吾《われ》も事《こと》成《な》るべしや 〔巻十一・二五一七〕 作者不詳
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正述[#二]心緒[#一]。作者不明。一首の意は、母に遠慮して気兼してぐずぐずしているなら、お前も私もこの恋を遂げることが出来んではないかというので、男が女を促す趣の歌である。男が気を急いで女に向って斯《か》くまで強いことをいうのも或《ある》場合の自然であり、娘の方で母のことをいろいろ気を揉《も》むことも背景にあって、なかなかおもしろい歌である。やはりこの巻(二五五七)に、「垂乳根の母に申さば君も我も逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき」というのもあるが、これも母に話して承諾を得る趣で、これも娘心であるが、「母に障《さは》らば」という方が直截《ちょくせつ》でいい。
この「障らば」をば、母の機嫌《きげん》を害《そこな》うならばと解する説がある。これは「障《さはり》」の用例に本づく説であるが、「障《さは》りあらめやも」、「障《さは》り多み」、「障《さは》ることなく」等だけに拠《よ》るとそうなるかも知れないが、「石《いそ》の上《かみ》ふるとも雨に関《さは》らめや妹に逢はむと云ひてしものを」(巻四・六六四)。「他言《ひとごと》はまこと煩《こちた》くなりぬともそこに障《さは》らむ吾ならなくに」(巻十二・二八八六)。「あしひきの山野さはらず」(巻十七・三九七三)等は、巻四の例に「関」の字を当てた如く、「それに拘わることなく、関係することなく」の意があるので、「山野さはらず」の如くに、そのために礙《さまた》げらるることなくというのは第二に導かれる意味になるのであるから、この歌はやはり、「母に関《かか》わることなく、拘泥《こうでい》することなく」と解釈していいと思う。また歌もそう解釈する方がおもしろい。
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苅薦《かりごも》の一重《ひとへ》を敷《し》きてさ寐《ぬ》れども君《きみ》とし寝《ぬ》れば寒《さむ》けくもなし 〔巻十一・二五二〇〕 作者不詳
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作者不明。薦蓆《こもむしろ》をただ一枚敷いて寝ても、あなたと御一しょですから、ちっともお寒くはありません、「君とし」とあるから大体女の歌として解していいであろう。第四句原文が、「君共宿者」であるから、キミガムタ。キミトモ。等の訓があるが、「伎美止之不在者《キミトシアラネバ》」(巻十八・四〇七四)などを参考して、平凡にキミトシヌレバと訓むのに従った。これも民謡風に率直に覚官的にいいあらわしている。「蒸被《むしぶすま》なごやが下《した》に臥《ふ》せれども妹とし宿《ね》ねば肌し寒しも」(巻四・五二四)というのは、同じような気持を反対に云ったものだが、この歌の方が、寧《むし》ろ実際的でそこに強みがあるのである。
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振分《ふりわけ》の髪《かみ》を短《みじか》み春草《はるくさ》を髪《かみ》に綰《た》くらむ妹《いも》をしぞおもふ 〔巻十一・二五四〇〕 作者不詳
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振分髪というのは、髪を肩のあたり迄《まで》垂らして切るので、まだ髪を結ぶまでに至らない童女、また童男の髪の風を云う。「綰《た》く」は加行下二段の動詞で、髪を束《たば》ねあげることである。一首の意は、あの児は短い振分髪で、まだ髪を結えないので、春草を足して髪に束ねてでもいるだろうか、可哀《かあ》いいあどけないあの児のことがおもいだされる、というくらいの意とおもう。童女のことを歌っているのが珍しいのであるが、あの時代には随分小さくて男女の関係を結んだこともあったと見做《みな》してこの歌を解釈することも出来る。真間の手児名なども、ようやくおとめになったかならぬころではなかっただろうか。いずれにしても珍しい歌である。第三句|流布本《るふぼん》「青草《ワカクサ》」であったのを古義で「春草」としたが、古鈔本中(温・京)に「春」とあるし、契沖既に注意している。
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念《おも》はぬに到《いた》らば妹《いも》が歓《うれ》しみと笑《ゑ》まむ眉引《まよびき》おもほゆるかも 〔巻十一・二五四六〕 作者不詳
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作者不明。一首の意。突然に女のところに行ったら、嬉《うれ》しいと云ってにこにこする様子が想像せられて云いようなく楽しい、というので、昔も今もかわりない人情の機微が出て居る歌である。ただ現代語と違って古語だから、軽薄に聞こえずに濃厚に聞こえるのである。おもいがけず、突然に、というのを「念はぬに」という。「念はぬに時雨の雨は降りたれど」(巻十・二二二七)。「念はぬに妹が笑《ゑま》ひを夢に見て」(巻四・七一八)等の例がある。「歓《うれ》しみと」の「と」の使いざまは、「歓《うれ》しみと紐の緒解きて」(巻九・一七五三)とある如く、「と云って」の意である。にこにこと匂《にお》うような顔容をば、「笑まむ眉引」というのも、実に旨いので、古語の優れている点である。やはり此巻(二五二六)に、「待つらむに到らば妹が歓《うれ》しみと笑《ゑ》まむすがたを行きて早見む」というのがあり、大《おおい》に似ているが、この
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