とほり春日《かすが》の山《やま》は色《いろ》づきにけり 〔巻十・二一八〇〕 作者不詳
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 この歌も伸々《のびのび》として、息をふかめて歌いあげて居る。「時雨のあめに沾《ぬ》れ通り」の句がこの歌を平板化から救って居るし、全体の具合から作者はこう感じてこう云って居るのである。「君が家の黄葉《もみぢ》の早く落《ち》りにしは時雨の雨に沾れにけらしも」(巻十・二二一七)という歌があるが平板でこの歌のように直接的なずばりとしたところがない。また「霍公鳥《ほととぎす》しぬぬに沾《ぬ》れて」(同・一九七七)等の例もあり人間以外の沾《ぬ》れた用例の一つである。結句の「色づきにけり」というのは集中になかなか例も多く、「時雨の雨|間《ま》なくし零《ふ》れば真木《まき》の葉もあらそひかねて色づきにけり」(同・二一九六)もその一例である。

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大坂《おほさか》を吾《わ》が越《こ》え来《く》れば二上《ふたがみ》にもみぢ葉《ば》流る時雨《しぐれ》零《ふ》りつつ 〔巻十・二一八五〕 作者不詳
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 大坂は大和|北葛城《きたかつらぎ》郡下田村で、大和から河内《かわち》へ越える坂になっている。二上山が南にあるから、この坂を越えてゆくと、二上山辺の黄葉が時雨に散っている光景が見えたのである。「もみぢ葉ながる」の「ながる」は水の流ると同じ語原で、流動することだから、水のほかに、「沫雪ながる」というように雪の降るのにも使っている。併し、水の流るるように、幾らか横ざまに斜に降る意があるのであろう。「天の時雨の流らふ見れば」(巻一・八二)、「ながらふるつま吹く風の」(同・五九)を見ても、雨・風にナガルの語を使っていることが分かる。「二上に」と云って、「二上山に」と云わぬのもこの歌の一特色をなしている。

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吾《わ》が門《かど》の浅茅《あさぢ》色《いろ》づく吉隠《よなばり》の浪柴《なみしば》の野《ぬ》のもみぢ散《ち》るらし 〔巻十・二一九〇〕 作者不詳
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「吉隠《よなばり》の浪柴《なみしば》の野《ぬ》」は、大和|磯城《しき》郡、初瀬《はせ》町の東方一里にあり、持統天皇もこの浪芝野《なみしばぬ》のあたりに行幸あらせられたことがある。自分の家の門前の浅茅が色づくを見ると、もう浪柴の野の黄葉が散るだろうと推量するので、こういう心理の歌が集中なかなか多いが、浪柴の野は黄葉の美しいので名高かったものの如く、また人の遊楽するところでもあったのであろう。そこでこの聯想も空漠《くうばく》でないのだが、私は、「浪柴の野のもみぢ散るらし」という歌調に感心したのであった。そして、「もみぢ散るらし」という結句の歌は幾つかあるような気がしていたが、実際当って見ると、この歌一首だけのようである。

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さを鹿《しか》の妻《つま》喚《よ》ぶ山《やま》の岳辺《をかべ》なる早田《わさだ》は苅《か》らじ霜《しも》は零《ふ》るとも 〔巻十・二二二〇〕 作者不詳
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 早稲田《わさだ》だからもう稔《みの》っているのだが、牡鹿《おじか》が妻喚ぶのをあわれに思って、それを驚かすに忍びないという歌である。それをば、「霜は降るとも」と念を押して、あわれに思うとか、同情してとかいう、主観語の無いのをも注意していい。岡辺という語は、「竜田路《たつたぢ》の岳辺《をかべ》の道に」(巻六・九七一)、「岡辺なる藤浪見には」(巻十・一九九一)等の例にある。こういう人間的とも謂うべき歌は万葉には多い。人間的というのは、有情非情に及ぼす同感が人間的にあらわれるという意味である。

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思《おも》はぬに時雨《しぐれ》の雨《あめ》は零《ふ》りたれど天雲《あまぐも》霽《は》れて月夜《つくよ》さやけし 〔巻十・二二二七〕 作者不詳
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 思いがけず時雨が降ったけれど、いつのまにか天雲が無くなって、月明となったというだけのものであるが、言葉がいかにも精煉《せいれん》せられているようにおもう。それも専門家的の苦心|惨憺《さんたん》というのでなくて、尋常《じんじょう》の言葉で無理なくすらすらと云っていて、これだけ充実したものになるということは時代の賜《たまもの》といわなければならない。

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さを鹿《しか》の入野《いりぬ》のすすき初尾花《はつをばな》いづれの時《とき》か妹《いも》が手《て》まかむ 〔巻十・二二七七〕 作者不詳
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 この歌は、「いづれの時か妹が手まかむ」だけが意味内容で、何時になったら、恋しいあの児の手を纏《ま》いて一しょに寝ることが出来るだろうか、という感慨を漏《も》らしたものだが、上は序詞で、鹿の入って行く入野、入野は地名で山城|乙訓《おとくに》郡大原野村上羽に入野神社がある。その入野の薄《すすき》と初尾花《はつおばな》と、いずれであろうかと云って、いずれの時かと続けたので、随分|煩《うるさ》いほどな技巧を凝《こ》らしている。こういう凝った技巧は今となっては余り感心しないものだが、当時の人は骨折ったし、読む方でも満足した。併しこの歌で私の心を引いたのは、そういう序詞でなく、「いづれの時か妹が手纏かむ」の句にあったのである。聖徳太子の歌に、「家にあらば妹が手|纏《ま》かむ草枕旅に臥《こや》せるこの旅人《たびと》あはれ」(巻三・四一五)があった。

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あしひきの山《やま》かも高《たか》き巻向《まきむく》の岸《きし》の子松《こまつ》にみ雪《ゆき》降《ふ》り来《く》る 〔巻十・二三一三〕 柿本人麿歌集
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 巻向《まきむく》は高い山だろう。山の麓《ふもと》の崖《がけ》に生えている小松にまで雪が降って来る、というので、巻向は成程《なるほど》高い山だと感ずる気持がある。「岸《きし》」は前にもあったが、川岸などの岸と同じく、山と平地との境あたりで、なだれになっているのを云うのである。「山かも高き」というような云い方は既に幾度も出て来て、常套《じょうとう》手段の如き感があるが、当時の人々は、いつもすうっとそういう云い方に運ばれて行ったものだろうから、吾々もそのつもりで味う方がいいだろう。「岸の小松にみ雪降り来る」の句を私は好いているが、小松は老松ではないけれども相当に高くとも小松といったこと、次の歌がそれを証している。

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巻向《まきむく》の檜原《ひはら》もいまだ雲《くも》ゐねば子松《こまつ》が末《うれ》ゆ沫雪《あわゆき》流る 〔巻十・二三一四〕 柿本人麿歌集
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 巻向の檜林《ひのきばやし》は既に出た泊瀬《はつせ》の檜林のように、広大で且つ有名であった。その檜原に未だ雨雲が掛かっていないに、近くの松の梢《こずえ》にもう雪が降ってくる、という歌で、「うれゆ」の「ゆ」は、「ながる」という流動の動詞に続けたから、現象の移動をあらわすために「ゆ」と使った。消え易いだろうが、勢いづいて降ってくる沫雪の光景が、四三調の結句でよくあらわされている。この歌は人麿歌集出の歌だから、恐らく人麿自身の作であろう。

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あしひきの山道《やまぢ》も知《し》らず白橿《しらかし》の枝《えだ》もとををに雪《ゆき》の降《ふ》れれば 〔巻十・二三一五〕 柿本人麿歌集
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 これも人麿歌集出で、「山道も知らず」は道も見えなくなるまで盛に雪の降る光景だが、近くにある白橿《しらかし》の樹の枝の撓《たわ》むまで降るのを見ている方が、もっと直接だから、そういう具合にひどく雪が降ったというのを原因のようにして、それで山道も見えなくなったと云いあらわしている。前に人麿の、「矢釣山《やつりやま》木立《こだち》も見えず降りみだる」(巻三・二六二)云々の歌があったが、歌調に何処かに共通の点があるようである。この一首は、或本には三方沙弥《みかたのさみ》の作になっているという左注がある。

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吾《わ》が背子《せこ》を今《いま》か今《いま》かと出《い》で見《み》れば沫雪《あわゆき》ふれり庭《には》もほどろに 〔巻十・二三二三〕 作者不詳
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「庭もほどろに」は、「夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり」(巻十・二三一八)とあって、一云、「庭もほどろに雪ぞ降りたる」となって居るから、ハダラニ、ホドロニ同義であろう。既に旅人《たびと》の歌のところで解釈した如く、柔かく消え易いような感じに降ったのをハダラニ、ホドロニというのであって、ただ「薄《うっ》すらと」というのとは違うようである。「ハダレ霜」と熟したのも、消ゆるという感じと関聯している云いあらわしであろう。またハダラニ、ホドロニの例は、単に雪霜の形容であろうが、対手《あいて》を憶《おも》い、慕い、なつかしむような場合に使っているのは注意すべきで、これも消え易いという特色から、おのずから其処に関聯《かんれん》せしめたものであろうか。この一首も、女が男の来るのを、今か今かと思って屡《しばしば》家から出て見る趣であるが、男が来ずに、夜にもなり、庭には、うら悲しいような、消え易いような、柔かい雪が降っている、というのである。どうしても、この「ほどろに」には、何かを慕い、何かを要求し、不満を充《み》たそうとねがうような語感のあるとおもうのは、私だけの錯覚であろうか。「今か今か」と繰返したのも、女の語気が出ていてあわれ深い。
 巻十二(二八六四)に、「吾背子を今か今かと待ち居るに夜の更《ふ》けぬれば嘆《なげ》きつるかも」。巻二十(四三一一)に、「秋風に今か今かと紐《ひも》解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ」がある。

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はなはだも夜《よ》深《ふ》けてな行《ゆ》き道《みち》の辺《べ》の五百小竹《ゆざさ》が上《うへ》に霜《しも》の降《ふ》る夜《よ》を 〔巻十・二三三六〕 作者不詳
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「五百小竹《ゆざさ》」は繁った笹のことで、五百小竹《いおささ》の意だと云われている。もう繁った笹に霜が降ったころです、こんなに夜更《よふけ》にお帰りにならずに、暁になってからにおしなさい、といって、女が男の帰るのを惜しむ心持の歌である。全体が民謡風で、万人の唄《うた》うのにも適《かな》っているが、はじめは誰か、女一人がこういうことを云ったものであろう、そこに切にひびくものがあり、愛情の纏綿《てんめん》を伝えている。女が男の帰るのを惜しんでなるべく引きとめようとする歌は可なり万葉に多く、既に評釈した、「あかときと夜烏《よがらす》鳴けどこのをかの木末《こぬれ》のうへはいまだ静けし」(巻七・一二六三)などもそうだが、万葉のこういう歌でも実質的、具体的だからいいので、後世の「きぬぎぬのわかれ」的に抽象化してはおもしろくないのである。
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巻第十一

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新室《にひむろ》を踏《ふ》み鎮《しづ》む子《こ》し手玉《ただま》鳴《な》らすも玉《たま》の如《ごと》照《て》りたる君《きみ》を内《うち》へと白《まを》せ 〔巻十一・二三五二〕 柿本人麿歌集
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 旋頭歌《せどうか》で、人麿歌集所出である。一首の意は、新しく家を造るために、その地堅め地鎮の祭を行うので、大勢の少女《おとめ》等が運動に連れて手飾《てかざり》の玉を鳴らして居るのが聞こえる。あの玉のように立派な男の方をば、この新しい家の中へおはいりになるように御案内申せ、というのである。この歌は大勢の若い女の心持が全体を領
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