に続けたから、現象の移動をあらわすために「ゆ」と使った。消え易いだろうが、勢いづいて降ってくる沫雪の光景が、四三調の結句でよくあらわされている。この歌は人麿歌集出の歌だから、恐らく人麿自身の作であろう。
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あしひきの山道《やまぢ》も知《し》らず白橿《しらかし》の枝《えだ》もとををに雪《ゆき》の降《ふ》れれば 〔巻十・二三一五〕 柿本人麿歌集
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これも人麿歌集出で、「山道も知らず」は道も見えなくなるまで盛に雪の降る光景だが、近くにある白橿《しらかし》の樹の枝の撓《たわ》むまで降るのを見ている方が、もっと直接だから、そういう具合にひどく雪が降ったというのを原因のようにして、それで山道も見えなくなったと云いあらわしている。前に人麿の、「矢釣山《やつりやま》木立《こだち》も見えず降りみだる」(巻三・二六二)云々の歌があったが、歌調に何処かに共通の点があるようである。この一首は、或本には三方沙弥《みかたのさみ》の作になっているという左注がある。
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吾《わ》が背子《せこ》を今《いま》か今《いま》かと出《い》で見《み》れば沫雪《あわゆき》ふれり庭《には》もほどろに 〔巻十・二三二三〕 作者不詳
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「庭もほどろに」は、「夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり」(巻十・二三一八)とあって、一云、「庭もほどろに雪ぞ降りたる」となって居るから、ハダラニ、ホドロニ同義であろう。既に旅人《たびと》の歌のところで解釈した如く、柔かく消え易いような感じに降ったのをハダラニ、ホドロニというのであって、ただ「薄《うっ》すらと」というのとは違うようである。「ハダレ霜」と熟したのも、消ゆるという感じと関聯している云いあらわしであろう。またハダラニ、ホドロニの例は、単に雪霜の形容であろうが、対手《あいて》を憶《おも》い、慕い、なつかしむような場合に使っているのは注意すべきで、これも消え易いという特色から、おのずから其処に関聯《かんれん》せしめたものであろうか。この一首も、女が男の来るのを、今か今かと思って屡《しばしば》家から出て見る趣であるが、男が来ずに、夜にもなり、庭には、うら悲しいような、消え易いような、柔かい雪が降っている、というのである。どうしても、この「ほどろに」には、何かを慕い、何かを要求し、不満を充《み》たそうとねがうような語感のあるとおもうのは、私だけの錯覚であろうか。「今か今か」と繰返したのも、女の語気が出ていてあわれ深い。
巻十二(二八六四)に、「吾背子を今か今かと待ち居るに夜の更《ふ》けぬれば嘆《なげ》きつるかも」。巻二十(四三一一)に、「秋風に今か今かと紐《ひも》解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ」がある。
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はなはだも夜《よ》深《ふ》けてな行《ゆ》き道《みち》の辺《べ》の五百小竹《ゆざさ》が上《うへ》に霜《しも》の降《ふ》る夜《よ》を 〔巻十・二三三六〕 作者不詳
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「五百小竹《ゆざさ》」は繁った笹のことで、五百小竹《いおささ》の意だと云われている。もう繁った笹に霜が降ったころです、こんなに夜更《よふけ》にお帰りにならずに、暁になってからにおしなさい、といって、女が男の帰るのを惜しむ心持の歌である。全体が民謡風で、万人の唄《うた》うのにも適《かな》っているが、はじめは誰か、女一人がこういうことを云ったものであろう、そこに切にひびくものがあり、愛情の纏綿《てんめん》を伝えている。女が男の帰るのを惜しんでなるべく引きとめようとする歌は可なり万葉に多く、既に評釈した、「あかときと夜烏《よがらす》鳴けどこのをかの木末《こぬれ》のうへはいまだ静けし」(巻七・一二六三)などもそうだが、万葉のこういう歌でも実質的、具体的だからいいので、後世の「きぬぎぬのわかれ」的に抽象化してはおもしろくないのである。
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巻第十一
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新室《にひむろ》を踏《ふ》み鎮《しづ》む子《こ》し手玉《ただま》鳴《な》らすも玉《たま》の如《ごと》照《て》りたる君《きみ》を内《うち》へと白《まを》せ 〔巻十一・二三五二〕 柿本人麿歌集
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旋頭歌《せどうか》で、人麿歌集所出である。一首の意は、新しく家を造るために、その地堅め地鎮の祭を行うので、大勢の少女《おとめ》等が運動に連れて手飾《てかざり》の玉を鳴らして居るのが聞こえる。あの玉のように立派な男の方をば、この新しい家の中へおはいりになるように御案内申せ、というのである。この歌は大勢の若い女の心持が全体を領
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