も萌えそめた柳を鶯が保持している感じである。柳の萌えに親しんで所有する感じであるが、鶯だから啄《ついば》んで持つといったので、「くひもつ」は鶯にかかるので、「鳴く」にかかるのではない。また、ただ鶯といわずに、青柳の枝を啄《くわ》えている鶯というのだから、写象もその方が複雑で気持がよい。その鶯がうれしくて鳴くというのである。詮議すればそうだが、それを単純化してかく表わすのが万葉の歌の一つの特色でもあり、佳作の一つと謂《い》うべきである。この歌と一しょに、「うち靡《なび》く春立ちぬらし吾が門の柳の末《うれ》に鶯鳴きつ」(巻十・一八一九)があるが、平凡で取れない。また、「うち靡く春さり来れば小竹《しぬ》の末《うれ》に尾羽《をは》うち触《ふ》りて鶯鳴くも」(同・一八三〇)というのもあり、これも鶯の行為をこまかく云っている。鶯に親しむため、「尾羽うち触り」などというので、「枝くひもちて」というのと同じ心理に本づくのであろう。
○
[#ここから5字下げ]
春《はる》されば樹《き》の木《こ》の暗《くれ》の夕月夜《ゆふづくよ》おぼつかなしも山陰《やまかげ》にして 〔巻十・一八七五〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
作者不詳。春になって木が萌え茂り、またそれが山陰であるので、そうでなくとも光のうすい夕月夜が、一層薄くほのかだという歌である。巧みでない寧《むし》ろ拙な部分の多い歌であるが、「おぼつかなしも」の句に心ひかれて此歌を抜いた。「この夜《よひ》のおぼつかなきに霍公鳥《ほととぎす》」(巻十・一九五二)の例がある。
○
[#ここから5字下げ]
春日野《かすがぬ》に煙《けぶり》立《た》つ見《み》ゆ※[#「女+感」、下−35−10]嬬等《をとめら》し春野《はるぬ》の菟芽子《うはぎ》採《つ》みて煮《に》らしも 〔巻十・一八七九〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
菟芽子《うはぎ》は巻二の人麿の歌にもあった如く、和名鈔《わみょうしょう》に薺蒿《せいこう》で、今の嫁菜《よめな》である。春日野は平城《なら》の京から、東方にひろがっている野で、その頃人々は打連れて野遊に出たものであった。「春日野の浅茅《あさぢ》がうへに思ふどち遊べる今日は忘らえめやも」(巻十・一八八〇)という歌を見ても分かる。この歌で注意をひいたのは、野遊に来た娘たちが、嫁菜を煮て食べているだろうというので、嫁菜などは現代の人は余り珍重しないが、当時は野菜の中での上品であったものらしい。和《なごや》かな春の野に娘等を配し、それが野菜を煮ているところを以て一首を作っているのが私の心を牽《ひ》いたのであった。
○
[#ここから5字下げ]
百礒城《ももしき》の大宮人《おほみやびと》は暇《いとま》あれや梅《うめ》を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざ》してここに集《つど》へる 〔巻十・一八八三〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
「百礒城の」は大宮にかかる枕詞で、百石城《ももしき》即ち、多くの石を以て築いた城という意で大宮の枕詞とした。一首の意は、今日は御所に仕え申す人達も、お閑《ひま》であろうか、梅花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》にして、此処の野に集っていられる、というので、長閑《のどか》な光景の歌である。「大宮人は暇《いとま》あれや」の「は」は、一寸《ちょっと》聞くと、御役人などというものは暇《ひま》なものであるだろう、というように取れるが、実はそういう意味でなく、現在大宮人の野遊を見て推量したのだから、「今日は御役人は暇があるのか」ぐらいに解釈すべきところで、奈良朝の太平豊楽を讃美する気持が作歌動機にあるのである。
○
[#ここから5字下げ]
春雨《はるさめ》に衣《ころも》は甚《いた》く通《とほ》らめや七日《なぬか》し零《ふ》らば七夜《ななよ》来《こ》じとや 〔巻十・一九一七〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
これは、女から男にやった歌の趣で、あなたは春雨が降ったので来られなかったと仰しゃるけれど、あのくらいの雨なら、そんなに衣が沾《ぬ》れ通るという程ではございますまい。そういう事なら、若し雨が七日間降りつづいたら、七晩とも御いでにならぬと仰しゃるのでございますか、というのである。女が男に迫る語気まで伝わる歌で、如何にもきびきびと、才気もあっておもしろいものである。こういう肉声をさながら聴き得るようなものは、平安朝になるともう無い。和泉式部《いずみしきぶ》がどうの、小野小町がどうのと云っても、もう間接な機智の歌になってしまって居る。
○
[#ここか
前へ
次へ
全133ページ中86ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング