を授けられ、天平宝字《てんぴょうほうじ》元年に従五位上を授けられたことが記されている。甘南備河《かむなびがわ》は、甘南備山が飛鳥《あすか》(雷丘《いかずちのおか》)か竜田《たつた》かによって、飛鳥川か竜田川かになるのだが、それが分からないからいずれの河としても味うことが出来る。一首は、蝦《かわず》(河鹿《かじか》)の鳴いている甘南備河に影をうつして、今頃山吹の花が咲いて居るだろう、というので、こだわりの無い美しい歌である。
此歌が秀歌として持てはやされ、六帖や新古今に載ったのは、流麗な調子と、「かげ見えて」、「今か咲くらむ」という、幾らか後世ぶりのところがあるためで、これが本歌《ほんか》になって模倣せられたのは、その後世ぶりが気に入られたものである。「逢坂の関の清水にかげ見えて今や引くらむ望月の駒」(拾遺・貫之《つらゆき》)、「春ふかみ神なび川に影見えてうつろひにけり山吹の花」(金葉集)等の如くに、その歌調なり内容なりが伝播《でんぱ》している。この歌は、全体としては稍《やや》軽いので、実際をいえば、このくらいの歌は万葉に幾つもあるのだが、この種類の一代表として選んだのである。参考歌に、「安積香《あさか》山影さへ見ゆる山井《やまのゐ》の浅き心を吾が念《も》はなくに」(巻十六・三八〇七)がある。
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平常《よのつね》に聞《き》くは苦《くる》しき喚子鳥《よぶこどり》こゑなつかしき時《とき》にはなりぬ 〔巻八・一四四七〕 大伴坂上郎女
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大伴坂上郎女《おおとものさかのうえのいらつめ》が、天平《てんぴょう》四年三月|佐保《さお》の宅《いえ》で詠んだ歌である。普段には、身につまされて寧《むし》ろ苦しいくらいな喚子鳥の声も、なつかしく聞かれる春になった、というので、奇もなく鋭いところもないが、季節の変化に対する感じも出ており、春の女心に触れることも出来るようなところがある。「時にはなりぬ」だけで詠歎《えいたん》のこもることは既《すで》にいった。佐保の宅というのは、郎女《いらつめ》の父大伴|安麿《やすまろ》の宅である。「春日なる羽易《はがひ》の山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰《たれ》喚子鳥」(巻十・一八二七)、「答へぬにな喚び響《とよ》めそ喚子鳥佐保の山辺を上《のぼ》り下《くだ》りに」(同・一八二八)、「卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥《ほととぎす》佐保の山辺に来鳴き響《とよ》もす」(巻八・一四七七)等があって、佐保には鳥の多かったことが分かる。
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波《なみ》の上《うへ》ゆ見《み》ゆる児島《こじま》の雲《くも》隠《がく》りあな気衝《いきづ》かし相《あひ》別《わか》れなば 〔巻八・一四五四〕 笠金村
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天平五年春|閏《うるう》三月、入唐使(多治比真人広成《たじひのまひとひろなり》)が立つ時に、笠金村《かさのかなむら》が贈った長歌の反歌である。一首は、あなたの船が出帆して、波の上から見える小島のように、遠く雲がくれに見えなくなって、いよいよお別れということになるなら、嗚呼《ああ》吐息《といき》の衝《つ》かれることだ、悲しいことだ、というのである。此処でも、「波の上ゆ見ゆる」と「ゆ」を使っている。児島は備前児島だろうという説があるが、序の形式だから必ずしも固有名詞とせずともいい。「気衝《いきづ》かし」は、息衝《いきづ》くような状態にあること、溜息《ためいき》を衝《つ》かせるようにあるというので、いい語だとおもう。「味鴨《あぢ》の住む須佐《すさ》の入江の隠《こも》り沼《ぬ》のあな息衝《いきづ》かし見ず久《ひさ》にして」(巻十四・三五四七)の用例がある。訣別《けつべつ》の歌だから、稍《やや》形式になり易いところだが、海上の小島を以て来てその気持を形式化から救っている。第四句が中心である。
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神名火《かむなび》の磐瀬《いはせ》の杜《もり》のほととぎすならしの岳《をか》に何時《いつ》か来鳴《きな》かむ 〔巻八・一四六六〕 志貴皇子
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志貴皇子の御歌。磐瀬《いわせ》の杜《もり》は既にいった如く、竜田町の南方車瀬にある。ならしの丘《おか》は諸説あって一定しないが、磐瀬の杜の東南にわたる岡だろうという説があるから、一先《ひとま》ずそれに従って置く。この歌は、「ならしの丘に何時か来鳴かむ」と云って、霍公鳥《ほととぎす》の来ることを希望しているのだが、既に出た皇子の御歌の如く、おおどかの中に厳《おごそ》かなところがあり、感傷に淫《いん》せずになお感傷を暗指《あんじ》している点は独特の御風格というべきである。他の皇子の御歌と較《くら》べるから左
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