、この歌の「面白」も、「おもしろくして古《いにしへ》おもほゆ」の感と相通じているのである。
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暁《あかとき》と夜烏《よがらす》鳴けどこの山上《をか》の木末《こぬれ》の上《うへ》はいまだ静けし 〔巻七・一二六三〕 作者不詳
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第三句、「山上《をか》」は代匠記に「みね」とも訓んだ。もう夜が明けたといって夜烏《よがらす》が鳴くけれど、岡の木立《こだち》は未だひっそりとして居る、というのである。「木末《こぬれ》の上」は、繁っている樹木のあたりの意、万葉の題には、「時に臨《のぞ》める」とあるから、或る機《おり》に臨んで作ったものであろう。そして、烏《からす》等は、もう暁天《あかつき》になったと告げるけれども、あのように岡の森は未だ静かなのですから、も少しゆっくりしておいでなさい、という女言葉のようにも取れるし、或は男がまだ早いからも少しゆっくりしようということを女に向って云ったものとも取れるし、或は男が女の許から帰る時の客観的光景を詠んだものとも取れる。いずれにしても、暁はやく二人が未だ一しょにいる時の情景で、こういう事をいっているその心持と、暁天の清潔とが相待って、快い一首を為上《しあ》げて居る。鑑賞の時、どうしても意味を一つに極《き》めなければならぬとせば、やはり女が男にむかって云った言葉として受納《うけい》れる方がいいのではあるまいか。略解《りゃくげ》にも、「男の別れむとする時、女の詠めるなるべし」と云っている。
次手《ついで》に云うと、この歌の一つ前に、「あしひきの山椿《やまつばき》咲く八峰《やつを》越え鹿《しし》待つ君が斎《いは》ひ妻《づま》かも」(巻七・一二六二)というのがある。これは、猟師が多くの山を越えながら鹿《しし》の来るのを、心に期待して、隠れ待っている気持で、そのように大切に隠して置く君の妻よというのである。「斎《いは》ひ妻」などいう語は、現代の吾等には直ぐには頭に来ないが、繰返し読んでいるうちに馴れて来るのである。つまり神に斎《いつ》くように、粗末にせず、大切にする妻というので、出て来る珍らしい獲物《えもの》の鹿を大切にする気持と相通じて居る。「鹿待つ」までは序詞だが、こういう実際から来た誠に優れた序詞が、万葉になかなか多いので、その一例を此処に示すこととした。
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巻向《まきむく》の山辺《やまべ》とよみて行《ゆ》く水《みづ》の水泡《みなわ》のごとし世《よ》の人《ひと》吾《われ》は 〔巻七・一二六九〕 柿本人麿歌集
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人麿歌集にある歌で、「児等《こら》が手を巻向《まきむく》山は常《つね》なれど過ぎにし人に行き纏《ま》かめやも」(巻七・一二六八)と一しょに載っている。これで見ると、妻の亡くなったのを悲しむ歌で、「行き纏かめやも」は、通って行って一しょに寝ることがもはや出来ないと歎くのだから、この「水泡の如し」の歌も、妻を悲しんだ歌なのである。
一首の意は、巻向山の近くを音たてて流れゆく川の水泡《みなわ》の如くに果敢《はか》ないもので吾身があるよ、というのである。
この歌では、自身のことを詠んでいるのだが、それは妻に亡くなられて悲しい余りに、自分の身をも悲しむのは人の常情《じょうじょう》であるから、この歌は単に大観的に無常を歌ったものではないのである。其処をはっきりさせないと、結論に錯誤《さくご》を来すので、「もののふの八十うぢ河の網代木にいさよふ波の行方《ゆくへ》知らずも」(巻三・二六四)でもそうであるが、この歌も、単に仏教とか支那文学とかの影響を受け、それ等の文句を取って其儘《そのまま》詠んだというのでなく、巻向川(痛足《あなし》川)の、白く激《たぎ》つ水泡《みなわ》に観入して出来た表現なのである。恐らく此歌は人麿自身の作として間違は無いとおもうが、一寸見《ちょっとみ》には、ただ口に任せて調子で歌っているようにも聞こえるがそうではないのである。巻二に、人麿の妻を痛む歌があるが、この歌もああいう歌と関聯があるのかも知れず、又紀伊の海岸で詠んだ歌も妻を悲しみ追憶した歌だから、一しょにして味ってもいいだろう。
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春日《はるひ》すら田《た》に立《た》ち疲《つか》る君《きみ》は哀《かな》しも若草《わかくさ》の※[#「女+麗」、上−222−12]《つま》無《な》き君《きみ》が田《た》に立《た》ち疲《つか》る 〔巻七・一二八五〕 柿本人麿歌集
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此処に、柿本人麿歌集に出づという旋頭歌《せどうか》が二十三首あるが、その一首だけ抜いて見た。旋頭歌は万葉にも数が少く、人麿でも人麿作と明かにその名の見
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