であり、三輪山の枕詞となった。「隠口《こもりく》」は、隠《こも》り国《くに》の意で、初瀬の地勢をあらわしたものだが、初瀬の枕詞となった。一首の意は、神を斎《いつ》き祀《まつ》ってある奥深い三輪山の檜原《ひはら》を見ると、谿谷《けいこく》ふかく同じく繁っておる初瀬の檜原をおもい出す、というので、三輪の檜原、初瀬の檜原といって、檜樹の密林が欝蒼《うっそう》として居り、当時の人の尊崇していたものと見える。上の句と下の句との聯絡が、「おもほゆるかも」で収めてあるのは、古代人的に素朴簡浄で誠によいものである。なお此種《このしゅ》の簡潔に山を詠んだ歌は幾つかあるが、いまは此一首を以て代表せしめた。

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ぬばたまの夜《よる》さり来《く》れば巻向《まきむく》の川音《かはと》高《たか》しも嵐《あらし》かも疾《と》き 〔巻七・一一〇一〕 柿本人麿歌集
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 柿本人麿歌集にある、詠[#(メル)][#レ]河[#(ヲ)]歌である。一首の意は、夜になると、巻向川の川音が高く聞こえるが、多分嵐が強いかも知れん、というので、内容極めて単純だが、この歌も前の歌同様、流動的で強い歌である。無理なくありの儘に歌われているが、無理が無いといっても、「ぬばたまの夜《よる》さりくれば」が一段、「巻向の川音高しも」が一段、共に伸々とした調《しらべ》であるが、結句の、「嵐かも疾き」は、強く緊《し》まって、厳密とでもいうべき語句である。おわりが二音で終った結句は、万葉にも珍らしく、「独りかも寝む」(巻三・二九八等)、「あやにかも寝も」(巻二十・四四二二)、「な踏みそね惜し」(巻十九・四二八五)、「高円の野ぞ」(巻二十・四二九七)、「実の光《て》るも見む」(巻十九・四二二六)、「御船《みふね》かも彼《かれ》」(巻十八・四〇四五)、「櫛造る刀自《とじ》」(巻十六・三八三二)、「やどりする君」(巻十五・三六八八)等は、類似のものとして拾うことが出来る。この歌も前の歌と共通した特徴があって、人麿を彷彿《ほうふつ》せしむるものである。

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いにしへにありけむ人《ひと》も吾《わ》が如《ごと》か三輪《みわ》の檜原《ひはら》に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》折《を》りけむ 〔巻七・一一一八〕 柿本人麿歌集
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 詠[#(メル)][#レ]葉[#(ヲ)]歌、人麿歌集にある。一首の意は、古人も亦、今の吾のように、三輪山の檜原に入来《いりき》て、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》を折っただろう、というので、品佳く情味ある歌である。巻二(一九六)の人麿の歌に、「春べは花折り※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》し、秋たてば黄葉《もみぢば》※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざ》し」とある如く、梅も桜も萩も瞿麦《なでしこ》も山吹も柳も藤も※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭にしたが、檜も梨もその小枝を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭にしたものと見える。詠[#レ]葉とことわっていても、題詠でなく、広義の恋愛歌として、象徴的に歌ったものであろう。人麿の歌に、「古にありけむ人も吾が如《ごと》か妹《いも》に恋ひつつ宿《い》ねがてずけむ」(巻四・四九七)というのがある。さすれば此は伝誦の際に民謡風に変化したものか、或は人麿が二ざまに作ったものか、いずれにしても、二つ並べつつ鑑賞して好い歌である。

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山《やま》の際《ま》に渡《わた》る秋沙《あきさ》の行《ゆ》きて居《ゐ》むその河《かは》の瀬《せ》に浪《なみ》立《た》つなゆめ 〔巻七・一一二二〕 作者不詳
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 詠[#(メル)][#レ]鳥[#(ヲ)]、作者不明。「秋沙《あきさ》」は、鴨の一種で普通|秋沙鴨《あいさがも》、小鴨《こがも》などと云っている。一首の意は、山のあいを今飛んで行く秋沙鴨が、何処かの川に宿るだろうから、その川に浪立たずに呉れ、というので、不思議に象徴的な匂いのする歌である。作者はほんのりと恋愛情調を以て詠んだのだろうが、情味が秋沙鴨に対する情味にまでなっている。これならば近代人にも直ぐ受納《うけい》れられる感味で、万葉にはこういう歌もあるのである。「行きて居《ゐ》む」の句を特に自分は好んでいる。「明日香《あすか》川|七瀬《ななせ》の淀《よど》に住む鳥も心あれこそ波立てざ
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