立てる地も田子浦の中たるなり」と説明して居る。)
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あをによし寧楽《なら》の都《みやこ》は咲《さ》く花《はな》の薫《にほ》ふがごとく今《いま》盛《さかり》なり 〔巻三・三二八〕 小野老
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太宰少弐小野老朝臣《だざいのしょうにおぬのおゆのあそみ》の歌である。老《おゆ》は天平十年(続紀には九年)に太宰大弐《だざいのだいに》として卒《そっ》したが、作歌当時は大伴旅人が太宰帥《だざいのそち》であった頃その部下にいたのであろう。巻五の天平二年正月の梅花歌中に「小弐|小野大夫《おぬのまえつきみ》」の歌があるから、この歌はその後、偶々《たまたま》帰京したあたりの歌ででもあろうか。歌は、天平の寧楽《なら》の都の繁栄を讃美したもので、直線的に云い下して毫《ごう》も滞《とどこお》るところが無い。「春花のにほえ盛《さか》えて、秋の葉のにほひに照れる」(巻十九・四二一一)などと云って、美麗な人を形容したのがあるが、此歌は帝都の盛大を謳歌《おうか》したのであるから、もっと内容が複雑|宏大《こうだい》となるわけである。併し同時に概念化してゆく傾向も既に醸《かも》されつつあるのは、単にこの歌のみでなく、一般に傾向文学の入ってゆかねばならぬ運命でもあるのである。またこの歌の作風は旅人の歌にあるような、明快で豊かなものだから、繰返しているうちに平板通俗にも移行し得るのである。人麿以前の歌調などと較べるとその差が既に著しい。「梅の花いまさかりなり思ふどち※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざし》にしてな今さかりなり」(巻五・八二〇)という歌を参考とすることが出来る。
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わが盛《さかり》また変若《をち》めやもほとほとに寧楽《なら》の京《みやこ》を見ずかなりなむ 〔巻三・三三一〕 大伴旅人
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太宰帥大伴旅人《だざいのそちおおとものたびと》が、筑紫太宰府にいて詠んだ五首中の一つである。旅人は六十二、三歳頃(神亀三、四年)太宰帥に任ぜられ、天平二年大納言になって兼官の儘上京し、天平三年六十七歳で薨じている。そこで此歌は、六十三、四歳ぐらいの時の作だろうと想像せられる。
一首の意は、吾が若い盛りが二たび還って来ることがあるだろうか、もはやそれは叶《かな》わぬことだ。こうして年老いて辺土に居れば、寧楽《なら》の都をも見ずにしまうだろう、というので、「をつ」という上二段活用の語は、元へ還ることで、若がえることに用いている。「昔見しより変若《をち》ましにけり」(巻四・六五〇)は、昔見た時よりも却って若返ったという意味で、旅人の歌の、「変若」と同じである。
旅人の歌は、彼は文学的にも素養の豊かな人であったので、極めて自在に歌を作っているし、寧ろ思想的抒情詩という方面にも開拓して行った人だが、歌が明快なために、一首の声調に暈《うん》が少いという欠点があった。その中にあって此歌の如きは、流石《さすが》に老に入った境界の作で、感慨もまた深いものがある。
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わが命《いのち》も常《つね》にあらぬか昔《むかし》見《み》し象《きさ》の小河《をがは》を行《ゆ》きて見むため 〔巻三・三三二〕 大伴旅人
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旅人作の五首中の一首である。一首の意は、わが命もいつも変らずありたいものだ。昔見た吉野の象の小川を見んために、というので、「常にあらぬか」は文法的には疑問の助詞だが、斯く疑うのは希《ねが》う心があるからで、結局同一に帰する。「苦しくも降りくる雨か」でも同様である。この歌も分かり易い歌だが、平俗でなく、旅人の優れた点をあらわし得たものであろう。哀韻もここまで目立たずに籠《こも》れば、歌人として第一流と謂っていい。やはり旅人の作に、「昔見し象《きさ》の小河を今見ればいよよ清《さや》けくなりにけるかも」(巻三・三一六)というのがある。これは吉野宮行幸の時で、聖武天皇の神亀元年だとせば、「わが命も」の歌よりも以前で、未だ太宰府に行かなかった頃の作ということになる。
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しらぬひ筑紫《つくし》の綿《わた》は身《み》につけていまだは着《き》ねど暖《あたた》けく見ゆ 〔巻三・三三六〕 沙弥満誓
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沙弥満誓《さみのまんぜい》が綿《わた》を詠じた歌である。満誓は笠朝臣麻呂《かさのあそみまろ》で、出家して満誓となった。養老七年満誓に筑紫の観世音寺を造営せしめた記事が、続日本紀《しょくにほんぎ》に見えている。満誓の歌としては、「世の中を何《なに》に譬《たと》へむ朝びらき
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