ていたためであろう。「物思ひもせず」と止めた結句も不思議によい。
○
[#ここから5字下げ]
小竹《ささ》が葉《は》のさやぐ霜夜《しもよ》に七重《ななへ》着《か》る衣《ころも》にませる子《こ》ろが膚《はだ》はも 〔巻二十・四四三一〕 防人
[#ここで字下げ終わり]
これも昔年の防人歌だと注せられている。一首は、笹の葉に冬の風が吹きわたって音するような、寒い霜夜に、七重もかさねて着る衣の暖かさよりも、恋しい女の膚《はだ》の方が暖い、というので、膚を中心として、「膚はも」と詠歎したのは覚官的である。また当時の民間では、七重の衣という言葉さえ羨《うらやま》しい程のものであっただろうから、こういう云い方も伝わっているのである。この歌も民謡風で防人が出発する時の歌などに似ないこと、前に出した、「かなしけ妹ぞ昼もかなしけ」(巻二十・四三六九)の場合と同じである。ただの東歌に類した民謡をば、蒐集《しゅうしゅう》した磐余伊美吉諸君《いわれのいみきもろきみ》が、進上された儘《まま》に防人の歌としたものであろう。
○
[#ここから5字下げ]
雲雀《ひばり》あがる春《はる》べとさやになりぬれば都《みやこ》も見《み》えず霞《かすみ》たなびく 〔巻二十・四四三四〕 大伴家持
[#ここで字下げ終わり]
これは家持作だが、天平勝宝七歳三月三日、防人《さきもり》を※[#「てへん+僉」、第3水準1−84−94]校《けんぎょう》する勅使、并《ならび》に兵部使人等、同《とも》に集《つど》える飲宴《うたげ》で、兵部少輔大伴家持の作ったものである。一首は、雲雀《ひばり》が天にのぼるような、春が明瞭《めいりょう》に来たのだから、都も見えぬまでに霞も棚びいている、というので、調《しらべ》がのびのびとして、苦渋が無く、清朗とでもいうべき歌である。「さやに」は清に、明かに、明瞭に、はっきりと、などの意で、この句はやはり一首にあっては大切な句である。なぜ家持はこういう歌を作ったかというに、その時来た勅使(安倍|沙美麿《さみまろ》)が、「朝なさな揚《あが》る雲雀になりてしか都に行きてはや帰り来む」(巻二十・四四三三)という歌を作ったので其《それ》に和したものである。勅使の歌が形式的|申訣《もうしわけ》的なので家持の歌も幾分そういうところがある。併し勅使の歌がまずい
前へ
次へ
全266ページ中259ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング