ので、家持の歌が目立つのである。なお此時家持は、「含《ふふ》めりし花の初めに来しわれや散りなむ後に都へ行かむ」(同・四四三五)という歌をも作っているが、下の句はなかなか旨《うま》い。

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剣刀《つるぎたち》いよよ研《と》ぐべし古《いにしへ》ゆ清《さや》けく負《お》ひて来《き》にしその名《な》ぞ 〔巻二十・四四六七〕 大伴家持
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 大伴家持は、天平勝宝八歳、「族《やから》に喩《さと》す歌」長短歌を作った。これは淡海真人三船《おうみのまひとみふね》の讒言《ざんげん》によって、出雲守大伴|古慈悲《こじひ》が任を解かれた、古慈悲は大伴の一家で宝亀八年八月に薨じた者だが、出雲守を罷《や》めさせられた時に家持がこの歌を作った。歌は句々緊張し、寧《むし》ろ悲痛の声ということの出来る程であり、長歌には、「聞く人の鑒《かがみ》にせむを、惜《あたら》しき清きその名ぞ、凡《おほろか》に心思ひて、虚言《むなこと》も祖《おや》の名|断《た》つな、大伴の氏《うぢ》と名に負《お》へる、健男《ますらを》の伴《とも》」というような句がある。この一首は、剣太刀《つるぎたち》をば愈《いよいよ》ますます励《はげ》み研《と》げ、既に神の御代から、清《さや》かに武勲の名望を背負い立って来たその家柄であるぞ、というので、「清《さや》けく」は清く明かにの意である。この短歌は、長歌の方でいろいろ細かく云ったから、大要的に結論を云ったようなものだが、やはり句々が緊張していていい。大伴家の家運が下降の向きにある時だったので、ことに悲痛の響となったのであろう。この短歌も威勢のよいのと同時に底に悲哀の韻をこもらせているのはそのためである。

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現身《うつせみ》は数《かず》なき身《み》なり山河《やまかは》の清《さや》けき見《み》つつ道《みち》を尋《たづ》ねな 〔巻二十・四四六八〕 大伴家持
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 大伴家持が、「病に臥して無常を悲しみ修道を欲《ほり》して作れる歌」二首の一つである。「数なき」は、年齢の数の無いということ、年寿の幾何《いくら》もないこと、幾ばくも生きないことである。人間というものはそう長生をするものではない。よって、濁世を厭離《えんり》し、自然山川の清い風光に接見しつつ
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