この御製歌は天平勝宝五年五月はじめて輯録《しゅうろく》されたから、孝謙天皇の御代になって居り、従って万葉集には元正天皇を先[#(ノ)]太上天皇《おおきすめらみこと》と記し奉っている。そして此歌の次に舎人親王《とねりのみこ》の和《こた》え奉った御歌が載って居り、親王は聖武天皇の天平七年に薨去せられたから、此行幸はそれ以前で元正天皇御在位中のことということになる。)
一首の意は、朕《ちん》が山に行ったところが山に住む仙人どもがいろいろと土産《みやげ》を呉れた。此等はその土産である、というので、この山裹《やまづと》というのは、山の仙人の持つようなものをぼんやりと聯想《れんそう》し得るのであるが、宣長は、「山づとぞ是とのたまへるは、即御歌を指して、のたまへる也」(略解)と云ったのは、「それ諸王卿等、宜しく和歌を賦して奏すべしと、即ち御口号に曰く」と詞書にある、その「御口号」をば直ぐ山裹と宣長が取ったからこういう解釈になったのであろう。併し山裹の内容はただ山の仙人に関係ある物ぐらいにぼんやり解く方がいいのではあるまいか。そこで下の舎人親王の「心も知らず」の句も利《き》くのである。舎人親王の和《こた》え御歌は、「あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰《たれ》」(巻二十・四二九四)というので、前の「山人」は天皇の御事、後の「山人」は土産をくれた山の仙人の事であろう。そこで、「山に御いでになった陛下はもはや仙人でいらせられるから俗界の私どもにはもはや御心の程は分かりかねます。一体その山裹と仰せられるのは何でございましょう。またそれを奉った仙人というのは誰でございましょう」というので、御製歌をそのまま受けついで、軽く諧謔《かいぎゃく》せられたのであった。御製歌は、「山村」からの聯想で、直ぐ「山人」とつづけ、神仙的な雰囲気《ふんいき》をこめたから、不思議な清く澄んだような心地よい御歌になった。
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木《こ》の暗《くれ》の繁《しげ》き尾《を》の上《へ》をほととぎす鳴《な》きて越《こ》ゆなり今《いま》し来《く》らしも 〔巻二十・四三〇五〕 大伴家持
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大伴家持が霍公鳥《ほととぎす》を詠《よ》んだもので、鬱蒼《うっそう》と木立《こだち》の茂っている山の上に霍公鳥が今鳴いている、あの峰を越して間も無く此処にや
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