的な歌である。歌に、「独しおもへば」というのが其《それ》を証しているが、独居沈思の態度は既に支那の詩のおもかげでもあり、仏教的静観の趣でもある。これも家持の到《いた》り着いた一つの歌境であった。
 前言にもいった天平二年の旅人宅の歌に、山上憶良の、「春されば先づ咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日くらさむ」(巻五・八一八)には、ややこの歌と類似点があるが、それ以外のものの多くは恋愛情調で、対者(男女)を予想したものが多い、従って人間的肉体的なものが多い。然るにこの歌になると、すでにその趣がちがって、自然観入による、その反応としての詠歎になっている。
 巻十九(四一九二)の霍公鳥|并《ならびに》藤花を詠じた長歌に、「夕月夜かそけき野べに、遙遙《はろばろ》に鳴く霍公鳥」とあるのも亦《また》家持の作、「雲雀あがる春べとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく」(巻二十・四四三四)も亦家持の作で、この方は巻十九のよりも制作年代が遅い(天平勝宝七|歳《さい》三月三日)のは注意すべきである。なお、その三月三日には安倍|沙美麿《さみまろ》が、「朝な朝《さ》なあがる雲雀《ひばり》になりてしか都に行きてはや帰り来む」(同・四四三三)という歌を作っているが、やはり家持の影響とおもわれるふしがある。
 この歌の左に、「春日遅遅として、※[#「倉+鳥」、第3水準1−94−67]※[#「庚+鳥」、第3水準1−94−64]《ひばり》正に啼《な》く。悽惆《せいちう》の意、歌に非《あら》ずば、撥《はら》ひ難し。仍《よ》りて此の歌を作り、式《も》ちて締緒《ていしよ》を展《の》ぶ」云々という文が附いている。※[#「倉+鳥」、第3水準1−94−67]※[#「庚+鳥」、第3水準1−94−64]は雲雀《ひばり》と訓《よ》ませており、和名鈔でもそうだが、実は鶯《うぐいす》に似た鳥だということである。
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巻第二十

           ○

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あしひきの山《やま》行《ゆ》きしかば山人《やまびと》の朕《われ》に得《え》しめし山《やま》づとぞこれ 〔巻二十・四二九三〕 元正天皇
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 大和国|添上《そふのかみ》郡|山村《やまむら》(今の帯解町辺)に行幸(元正天皇)あらせられた時、諸王臣に和歌を賦して奏すべしと仰せられた。その時御みずから作りたもうた御製である。(
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