って来るらしいな、というので、気軽に作った独詠歌だが、流石《さすが》に練れていて旨《うま》いところがある。それは、「鳴きて越ゆなり」と現在をいって、それに主点を置いたかと思うと、おのずからそれに続くべき、第二の現在「今し来らしも」と置いて、一首の一番大切な感慨をそれに寓《ぐう》せしめたところが旨いのである。霍公鳥の歌は万葉には随分あるが、此歌は平淡でおもしろいものである。家持の作った歌の中でも晩期のものだが、稍《やや》自在境に入りかかっている。
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我《わ》が妻《つま》も画《ゑ》にかきとらむ暇《いつま》もが旅行《たびゆ》く我《あれ》は見つつ偲《しぬ》ばむ 〔巻二十・四三二七〕 防人
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天平勝宝七歳二月、坂東《ばんどう》諸国の防人《さきもり》を筑紫《つくし》に派遣して、先きの防人と交替せしめた。その時防人等が歌を作ったのが一群となって此処に輯録せられている。此歌は長下《ながのしも》郡、物部古麿《もののべのふるまろ》という者の作ったものである。一首は、自分の妻の姿をも、画にかいて持ってゆく、その描《か》く暇が欲しいものだ。遙々《はるばる》と辺土の防備に行く自分は、その似顔絵を見ながら思出したいのだ、というので、歌は平凡だが、「我が妻も画にかきとらむ」という意嚮《いこう》が珍らしくもあり、人間自然の意嚮でもあろうから、此に選んで置いた。「父母も花にもがもや草枕旅は行くとも※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]《ささ》ごて行かむ」(巻二十・四三二五)も意嚮は似ているが、この方には類想のものが多い。また、「母刀自《ははとじ》も玉にもがもや頂《いただ》きて角髪《みづら》の中にあへ纏《ま》かまくも」(同・四三七七)というのもある。
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大君《おほきみ》の命《みこと》かしこみ磯《いそ》に触《ふ》り海原《うのはら》わたる父母《ちちはは》を置《お》きて 〔巻二十・四三二八〕 防人
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これも防人の歌で、助丁《すけのよぼろ》、丈部造人麿《はせつかべのみやつこひとまろ》という者が作った。一首は、天皇の命を畏《かし》こみ体して、船を幾たびも磯に触れあぶない思をし、また浪あらく立つ海原をも渡って防人に行く。父も母も皆国元に残して、というのであ
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