しょくき》には、天平二十一年二月、陸奥《みちのく》始めて黄金を貢《みつ》いだことがあり、これは東大寺大仏造営のために役立ち、詔にも、開闢《かいびゃく》以来我国には黄金は無く、皆外国からの貢《みつぎ》として得たもののみであったのに、朕《ちん》が統治する陸奥の少田《おた》郡からはじめて黄金を得たのを、驚き悦び貴《とうと》びたもう旨が宣せられてある。また長歌には、「大伴の遠つ神祖《かむおや》の、其の名をば大来目主《おほくめぬし》と、負《お》ひ持ちて仕へし官《つかさ》、海行かば水漬《みづ》く屍《かばね》、山ゆかば草むす屍、おほきみの辺《へ》にこそ死なめ、顧《かへり》みはせじと言立《ことだ》て」(巻十八・四〇九四)云々とあるもので、家持は生涯の感激を以て此の長短歌を作っているのである。

           ○

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この見《み》ゆる雲《くも》ほびこりてとの曇《ぐも》り雨《あめ》も降《ふ》らぬか心《こころ》足《だら》ひに 〔巻十八・四一二三〕 大伴家持
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 天平感宝元年|閏《うるう》五月六日以来、旱《ひでり》となって百姓が困っていたのが、六月一日にはじめて雨雲の気を見たので、家持は雨乞《あまごい》の歌を作った。此はその反歌で、長歌には、「みどり児の乳乞《ちこ》うがごとく、天《あま》つ水仰ぎてぞ待つ、あしひきの山のたをりに、彼《こ》の見ゆる天《あま》の白雲、海神《わたつみ》の沖つ宮辺《みやべ》に、立ち渡りとの曇《ぐも》り合ひて、雨も賜はね」云々とあるものである。「この見ゆる」の「この」は「彼の」、「あの」という意である。「ほびこり」は「はびこり」に同じく、「との曇り」は雲の棚びき曇るである。「心足らひに」は心に満足する程に、思いきりというのに落着く。一首は大きくゆらぐ波動的声調を持ち、また海神にも迫るほどの強さがあって、家持の人麿から学んだ結果は、期せずしてこの辺にあらわれている。

           ○

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雪《ゆき》の上《うへ》に照《て》れる月夜《つくよ》に梅《うめ》の花《はな》折《を》りて贈《おく》らむ愛《は》しき児《こ》もがも 〔巻十八・四一三四〕 大伴家持
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 天平勝宝元年十二月、大伴家持の作ったもので、越中の雪国にいるから、「雪の上に照れる月夜に」の句が出来るので、こうい
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