一つの境界《きょうがい》であるだろう。特に結句の、「月照りにけり」は、ただ一つ万葉にあって、それが家持の句だということもまた注目に値《あたい》するのである。
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巻第十八
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あぶら火《び》の光《ひかり》に見《み》ゆる我《わ》が縵《かづら》さ百合《ゆり》の花の笑《ゑ》まはしきかも 〔巻十八・四〇八六〕 大伴家持
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天平感宝《てんぴょうかんぽう》元年五月九日、越中国府の諸官吏が、少目《さかん》の秦伊美吉石竹《はたのいみきいわたけ》の官舎で宴を開いたとき、主人の石竹が百合の花を鬘《かずら》に造って、豆器《ずき》という食器の上にそれを載せて、客人に頒《わか》った。その時大伴家持の作った歌である。結句の、「笑まはしきかも」は、美しく楽しくて微笑せしめられる趣である。美しい百合花をあらわすのに、感覚的にいうのも家持の一特徴だが、「あぶら火の光に見ゆる」と云ったのは、流石《さすが》に家持の物を捉える力量を示すものである。「我が縵《かづら》」といったのは、自分の分として頂戴《ちょうだい》した縵という意味である。
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天皇《すめろぎ》の御代《みよ》栄《さか》えむと東《あづま》なるみちのく山《やま》に金花《くがねはな》咲《さ》く 〔巻十八・四〇九七〕 大伴家持
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大伴家持は、天平感宝元年五月十二日、越中国守の館で、「陸奥《みちのく》国より金《くがね》を出せる詔書を賀《ことほ》ぐ歌一首|并《ならび》に短歌」を作った。長歌は百七句ばかりの長篇で、結構も言葉も骨折ったものであり、それに反歌三つあって、此は第三のものである。一首の意は、天皇(聖武)の御代は永遠に栄える瑞象《ずいしょう》としてこのたび東《あずま》の陸奥の山から黄金が出た、というので、それを金の花が咲いたと云った。この短歌は余り細かく気を配らずに一|息《いき》にいい、言葉の技法もまた順直だから荘重に響くのであって、賀歌としてすぐれた態《たい》をなしている。結句に「かも」とか「けり」とか「やも」とかが無く、ただ「咲く」と止めたのも此《この》場合|甚《はなは》だ適切である。此等の力作をなすに当り、家持は知《し》らず識《し》らず人麿・赤人等先輩の作を学んで居る。
続紀《
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