《みくにのまひといおくに》という者が誦し伝えたのを、越中にいた家持が録しとどめたもので、「婦負の野」は、和名鈔《わみょうしょう》には禰比《ネヒ》とあり、今でも婦負郡をネイグンといっている。婦負の野は現在射水郡小杉町から呉羽山にわたる間の平地だろうと云われている。黒人は人麿などと同時代の歌人だが、地名を詠込んであるのを見ると、越中まで来たと考えていいであろう。この一首で、「悲しく思ほゆ」の句が心を牽《ひ》く。当時の※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅《きりょ》の実際からこの句が来たからであろう。山部赤人の歌に、「印南野《いなみぬ》の浅茅《あさぢ》おしなべさ宿《ぬ》る夜の日長《けなが》くあれば家し偲ばゆ」(巻六・九四〇)というのがあるが、此歌と関係あるとすると、黒人の此一首も軽々に看過出来ないこととなる。結句は原文「於毛倍遊」でオモハユとも訓んでいる。そうすれば、「おもはる」と同じで、「はろばろに於忘方由流可母《オモハユルカモ》」(巻五・八六六)、「かぢ取る間なく京師《みやこ》し於母倍由《オモハユ》」(巻十七・四〇二七)等の例もあるが、四〇二七の「倍」は「保」とも書かれて居り、また「おもほゆ」の用例の方が大部分を占めている。
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珠洲《すす》の海《うみ》に朝びらきして漕《こ》ぎ来《く》れば長浜《ながはま》の浦《うら》に月《つき》照《て》りにけり 〔巻十七・四〇二九〕 大伴家持
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大伴家持作。「珠洲郡より発船《ふなで》して治布《ちふ》に還《かへ》りし時、長浜湾《ながはまのうら》に泊《は》てて、月光を仰ぎ見て作れる歌一首」という題詞と、「右件《みぎのくだり》の歌詞は、春の出挙《すいこ》に依りて諸郡を巡行す。当時|属目《しょくもく》する所之を作る」という左注との附いている歌である。治布は治府即ち国府か(全釈)。左注の「出挙」は春、官の稲を貸すこと。「朝びらき」は、朝に船が港を出ることで、「世の中を何に譬《たと》へむ朝びらき榜《こ》ぎ去《い》にし船の跡なきごとし」(巻三・三五一)という沙弥満誓《さみのまんぜい》の歌があること既にいった如くである。この歌も、何の苦も無く作っているようだが、うちに籠《こも》るものがあり、調《しらべ》ものびのびとこだわりのないところ、家持の至りついた
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