りにならないでおいでになることをお願いいたします、というのである。
「常少女」という語も、古代日本語の特色をあらわし、まことに感歎せねばならぬものである。今ならば、「永遠処女」などというところだが、到底この古語には及ばない。作者は恐らく老女であろうが、皇女に対する敬愛の情がただ純粋にこの一首にあらわれて、単純古調のこの一首を吟誦すれば寧ろ荘厳の気に打たれるほどである。古調という中には、一つ一つの語にいい知れぬ味いがあって、後代の吾等は潜心その吟味に努めねばならぬもののみであるが、第三句の「草むさず」から第四句への聯絡《れんらく》の具合、それから第四句で切って、結句を「にて」にて止めたあたり、皆繰返して読味うべきもののみである。この歌の結句と、「野守は見ずや君が袖ふる」などと比較することもまた極《きわ》めて有益である。
「常」のついた例には、「相見れば常初花《とこはつはな》に、情《こころ》ぐし眼ぐしもなしに」(巻十七・三九七八)、「その立山に、常夏《とこなつ》に雪ふりしきて」(同・四〇〇〇)、「白砥《しらと》掘《ほ》ふ小新田《をにひた》山の守《も》る山の末《うら》枯れ為無《せな》な常葉《とこは》にもがも」(巻十四・三四三六)等がある。
十市皇女は大友皇子(弘文天皇)御妃として葛野王《かどののおおきみ》を生んだが、壬申乱《じんしんのらん》後大和に帰って居られた。皇女は天武天皇七年夏四月天皇伊勢斎宮に行幸せられんとした最中に卒然として薨ぜられたから、この歌はそれより前で、恐らく、四年春二月参宮の時でもあろうか。さびしい境遇に居られた皇女だから、老女が作ったこの祝福の歌もさびしい心を背景としたものとおもわねばならぬ。
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うつせみの命《いのち》を惜《を》しみ波《なみ》に濡《ぬ》れ伊良虞《いらご》の島《しま》の玉藻《たまも》苅《か》り食《を》す 〔巻一・二四〕 麻続王
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麻続王《おみのおおきみ》が伊勢の伊良虞《いらご》に流された時、時の人が、「うちそを麻続《をみ》の王《おほきみ》海人《あま》なれや伊良虞が島の玉藻《たまも》刈ります」(巻一・二三)といって悲しんだ。「海人なれや」は疑問で、「海人だからであろうか」という意になる。この歌はそれに感傷して和《こた》えられた歌である。自分は命を愛惜してこのよ
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