そこで一たび休止している。それから結句を二たび起して詠歎の助動詞で止めているから、下の句で二度休止がある。此歌は、伸々《のびのび》とした歌調で特有な東歌ぶりと似ないので、略解《りゃくげ》などでは、東国にいた京役人の作か、東国から出でて京に仕えた人の作ででもあろうかと疑っている。また巻七(一一七六)に、「夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず」というのがあって、上の句は全く同一である。この巻七の歌も古い調子のものだから、どちらかが原歌で他は少し変化したものであろう。巻七の歌も「※[#「覊」の「馬」に代えて「奇」、第4水準2−88−38]旅にて作れる」の中に集められているのだから、東国での作だろうと想像せられるにより、二つとも伝誦せられているうち、一つは東歌として蒐集せられたものの中に入ったものであろう。二つ較べると巻七の方が原歌のようでもある。
この歌の次に、「葛飾《かつしか》の真間の浦廻《うらみ》を榜《こ》ぐ船の船人さわぐ浪立つらしも」(巻十四・三三四九)という東歌(下総国歌)があるのに、巻七(一二二八)に、「風早の三穂の浦廻を傍ぐ船の船人さわぐ浪立つらしも」という歌があって、下の句は全く同じであり、風早の三穂は風早を風の強いことに解し、三穂を駿河《するが》の三保だとせば、どちらかが原歌で、伝誦せられて行った近国の地名に変形したもので、巻七の歌の方が原歌らしくもある。併《しか》し、此等の東歌というのも、やはり東国で民謡として行われていたことは確かであろう。仙覚抄《せんがくしょう》に、「ヨソヘヨメル心アルベシ」云々とあるのは、民謡的なものに感じての説だとおもう。
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筑波嶺《つくばね》に雪《ゆき》かも降《ふ》らる否《いな》をかも愛《かな》しき児《こ》ろが布《にぬ》乾《ほ》さるかも 〔巻十四・三三五一〕 東歌
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常陸国《ひたちのくに》の歌という左注が附いている。一首の意は、白く見えるのは筑波山にもう雪が降ったのか知ら、いやそうではなかろう、可哀《かあ》いい娘が白い布《ぬの》を干しているのだろう、というほどの意で、「否をかも」は「否かも」で「を」は調子のうえで添えたもの、文法では感歎詞の中に入れてある。「相見ては千歳や去《い》ぬる否《いな》をかも我や然《しか》念ふ君待ちがてに」(巻十一
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